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1弁 「花見客」
声だけが聞こえた。優人だった。渦は一旦動きを止め、俺を現実世界に引き戻す。
「ごめん、聞いてなかった。なんて?」
「ああ。いや、俺一人で良かったのにわざわざ来てくれて悪いなーって思って。」
いきなりそんな事を言われたら、逆に心配になる。
「いいよ。俺が来たかったんだから。」
なら良かった。優人はそういって、頭上の桜を一輪一輪、噛みしめるように眺めた。たまに腕時計を見ては、今度は辺りを見回す。
気づいたらさっきよりも花見客の数が多くなっている。屋台にも人だかりが出来ていた。
優人の視線を追ってみると、そこには射的屋があった。中学生がじっと銃を構えている。その隣で、腕を組んで立っている男。あれは親なのか? あの射的屋だけ、緊迫したオーラを放っていた。
「あのー、すみません。」
また、声が聞こえた。さっきとは違う、高く、澄んだ声だった。優人の裏声なんかではない。
振り返って、声の主を確認する。
思考が、ストップした。
「拓人君……だよね?」
彼女の問いに、俺は「ふぁい……」と力のない返事しか出来なかった。鼓動は激しく打たれているのに。
彼女、保坂玲奈はあの時と同じ笑顔で微笑んだ。毛先の整った長い髪が、桜と一緒に小さく揺れている。
「久しぶり! 全然変わんないじゃん。」
「ああ、それは、そっちだって。」
彼女の口調は明るくて、俺に優しく光を照らしてくれた。
「あの人は、友達?」
「うん。同じサークルで。」
こんちわー。と優人が頭を下げる。辺りをちらちら見渡し、やがて
「んじゃー、俺は屋台でも見てこようかな。」
と言って、人だかりへ消えていった。優人にしては珍しく、ここは空気を読んでくれたみたいだ。
優人が読んでくれたその空気は本当に澄み切っていて、嘘とか、邪念だとか、そういう埃っぽい物は全然無かった。周りにはたくさん人がいるのに、この世界が二人だけのものみたいな。
「私も友達と一緒なんだけど、まだ買い物にいってるんだ。よかったらーー」
まじか。
「あっいいよ。」
ふふっ。彼女の口から春風が漏れた。
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