殿次郎ガール

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ここ掘れワンワンで桜の木の下から大判小判がざっくざく、とまではいかなかったけど、こっちの場合は何故か石仏がわさわさと出てきた。 桜の木が一本ぽつーんと生えている少し小高くなってる川岸の丘を平たくして、ドッグランだかウォーキングロードになるだかの工事が始まったのだけれど、地元のばー様が 「あの丘の桜ん木んとこは、昔殿次郎っちゅー代わりもんが小屋おったてて住んでた辺りで、水運業の舟人たちは皆丘に水神様がおると言って、通る時は頭を下げて通ってたとこじゃ」的な事をさすがにこんな口調じゃないけど言っていて、 木を切って平たくするのはしゃーないが、せっかくだから切り株を神社に奉納しようかなんて話をしてたら、工事のブルドーザーがデカい石ころばかり掘り当てるからなんじゃこらと水かけて砂落としてみたら、 地蔵様やら弁才天、妙見宮、二十三夜塔、水天宮、子安大明神、熊野大権現とか色々書かれた石仏石祠がわさわさ出てきたので、あら大変。 その日の工事は中止で市役所やら教育委員会やら神社の神主やら民俗史書いてたじーさんに連絡したりで特に話題のない地元は微妙に盛り上がった。後日色々判明した結果、どうやら明治初期にお国から神仏分離令が出されて、神社に仏教由来の物を置くなとお達しが来て、この村はそこまで気にしてなかったのだが、近隣の定期市から戻ってきた野菜売りのばーさんが 「隣の村は仏教の終わりだって石仏の顔をぶっ叩いたり壊したりして騒ぎも騒ぎ」 とか言ったもんだから、うちの村もなんとかせんと周りに示しがつかんと言う事でさぁどうすると、村人と寺の住職が話し合った結果、寺は一つを覗いて廃寺にするが、いくらお上の指示とは言え石仏を壊すのは忍びない、と言う事になり、そこで名乗り出た新田殿次郎左衛門が 「表向きには壊したことにして、もし他村やお国に追及されたらこの令に納得できない俺が石仏持って逃げた事にして丘のところに埋めて隠そう、その時は一芝居打って俺を袋叩きにでもして仏さまの隣に埋めてくれ」と言う事になったらしく、殿次郎も最悪罪をおっ被る気持ちで桜の木の丘に石仏を埋めたという話だったと。
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