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「野風先生?」
会社そばの桜並木。凛子が帰ろうとすると見覚えのある男が立っていた。夕暮れに桜が儚げに光っている。
「あ、野風ってよんでくれるの?」
もう三五歳なのにその口調はやけに子供っぽかった。
「千雪野風が本名なんでしょう?」
調べはすぐについた。彼の本名は千雪野風。新進気鋭の日本画家として一〇年前に鮮烈なデビューを飾り、その直後、師匠に当たる米山凛瞳の作品を盗作し、画壇から追放された男。米山凛瞳はその後、失踪している。佐藤は一体どこでこんな危ない男を見つけてきたのか。雅号を変えさせ、仕事をさせた。もちろん、善意などない。全ては自分の企画のため、凛子だって人のことは言えない。だが、危ない橋を渡る。画壇に知られるのは時間の問題だ。どう切り抜けるつもりだろう。
「うん。やっぱりこの名前の方が好き。でも、千雪野風の絵は先生にあげっちゃったからねえ。櫻木烏夜に慣れないと」
「先生?」
「うん。凛瞳先生」
「え?」
「凛瞳先生ね、俺の作品が気に入りすぎて発表しちゃったんだよ。だから言ったんだ。あげるって。なのになんで死んじゃったのかな。俺がそのこと忘れて似たような絵を出してびっくりしたのかな」
今、このひとは何を言っている? まさか、盗作したのは。死んじゃった? 死体はどこに。
「桜の木の下って死体があるっていうでしょう? だから綺麗だって。あれって嘘だよ」
野風は夕日に照らされた桜の下でにこにこ笑っている。確信した。作品が作者を現すものならば、今、私が見ているのは千雪野風の”作品”だと。
「だって、それだったらたくさん死体が埋まっていればそれだけ綺麗にならないとおかしいじゃないか」
今、私は、瀬戸凛子はこの男の最高傑作を見ている。
「前の年と変わらなかったよ」
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