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そうしたら思いきりみぞおちを殴られた。
その痛みと苦しさにめげそうになってしまったが、こんなところでめげている場合ではない。広海先輩と二人っきりで飲み行くとか、出かけるとか初めてだ。
「お前ほんとに鬱陶しいのな」
「いまはなに言われても平気です。奇跡を噛み締めてるんで」
抱きしめた背中でガッツポーズをしていると、呆れを含んだため息混じりの声が聞こえる。だが、いまはそれすらいい。
何年一緒にいるんだと突っ込まれそうだが、飲食業の俺とオフィスワークの広海先輩とでは休みがなかなか合わない。
しかも通しや遅番ばかりで早番が少ない俺は、仕事上がりの彼と一緒に出かけるという、奇跡のようなタイミングに恵まれることは皆無に等しい。
大学時代などは、先輩とそのお友達にくっついて飲みに行くことはあったけれど、お互い仕事をし始めてからは全くだ。
一緒に暮らせているいまを考えれば、これは贅沢過ぎる悩みなのかもしれないが、意外と深刻な気もする。
「邪魔だ、さっさと行くぞ」
「行きます、行きますっ、待ってください」
遠慮なく頭を叩かれて、仕方なしに抱きついた腕を解くと、広海先輩は本当にさっさと歩き出してしまった。そしてその後ろを俺は慌ててついて行く。
この機会を逃したら、いつまた彼がこうして来てくれるかわからない。
浮ついた気持ちを隠さずに、へらへら笑って背中にくっついたら「鬱陶しい」と跳ね除けられた。しかしいまの俺はどんなことがあってもめげる気がしない。
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