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駅前までのらりくらりと歩いていたら、ふいに広海先輩はこちらを振り返った。
じっとこちらを見る黒い瞳にドキマギして、思わずキスしてしまいたくなるような唇から、紡ぎ出されるだろう言葉を待っていると、なぜか小さくため息をつかれた。
「あの、広海先輩?」
「お前さ、顔に全部出過ぎなんだよ」
「へ?」
呆れたように目を細められて、思わず間抜けた声を上げてしまう。
わけもわからず目を瞬かせている俺のことなど気にも留めず、彼は立ち止まった俺の目の前まで近づき、こちらを見上げる。
「そんなにキス、してぇの?」
「えっ、あ……はい」
うかつだった。改めて言われてみれば、先ほどからずっと俺は唇ばかりを目で追っていた。
意識するとそれは尚更で、目が離せなくなってくる。
そして目の前にある、ほんのり色づいている唇を見つめて、思わず生唾を飲み込んでしまった。
そうしたらふいにその唇が歪み、口角が上がった。
「馬鹿かお前、こんな道の往来でそんなこと出来るかよ」
「……いっ、痛」
にやりと笑った顔に見惚れていたら、指先で頬を摘まれてそれを思いきりよく引き伸ばされた。遠慮のない力加減に軽く涙目になった。
「お前この辺の店、詳しい?」
散々、人の顔をいじり回していた広海先輩は、それに飽きると、またさっさと歩き出す。さらに周りにちらりと視線を向けてから、俺を振り返った。
「え? あ、まあ、そこそこ」
職場から近い駅なので、この辺りは帰りに寄る店が多い。
しかし引っ越しをしてからマンションは彼の職場の近くになった。
ひと駅先だが徒歩や自転車でも行ける距離だ。それなのに家で待たずに電車にまで乗って、わざわざ俺の職場まで来たのはどうしてだろう。
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