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結論から言うと、僕が思っていたような連絡先は聞き出せなかった。僕の突拍子もない発言に対し迷うことなく電話番号を告げた彼女は、次に来た電車に乗って去っていったが、市外局番から始まるその番号は、携帯電話のものではなかった。
それでも僕は有頂天であった。今携帯が壊れているのかもしれない。なくしているのかもしれない。または、家に携帯を置いてきてしまったが番号が思い出せず、とっさに家の電話番号を言ったのかもしれない。
僕の脳内は薔薇色で、全てがいい方向に転がっていくものだと信じていた。
乾いた着信音が、一回、二回、三回。そのありふれた現実世界の音を耳にして、急に緊張が込み上げてきた。今僕は、女性に電話をかけている。電話を切ろうとして踏みとどまれたのは、それだけ僕が彼女に関わりたいと思っていたからであろう。結果として、すぐに切っておけばよかったと思うことになるのだが。
僕はこの時、彼女に否定されるのではないかという不安と、機械越しに聞こえてくるであろう彼女の世界への期待とで板挟みにされていた。要するに、ドキドキとしていたのだ。
次の瞬間、受話器を取った音と共に、心臓が比べものにならないほど跳ね上がることになるとも知らずに。
「はい。――です」
この時、まず想定していなかったこととして、彼女以外の人が電話に出たことが挙げられる。女性の声で、彼女の雰囲気をどことなく纏ってはいるが、まるで別もの。例え遠く離れ機械を挟んでいたところで、彼女の世界がこんなにも変わってしまう訳がない。と、聞いたこともない電話越しの彼女の声に確信を得ていた。
そしてもう一つ。彼女以外の人が電話に出たことで、彼女に代わってもらう必要が発生した。つまりは、彼女の名前を知る必要がある。僕は、彼女に名前があるという概念をこの時まで持たなかった。
「あの……娘さんに代わっていただけますか?」
「……娘?」
今受話器を耳にしているのは、彼女の母である、という一か八かの賭け。何とも言えない間を感じ負けを覚悟する。どうにかリカバリー出来ないか。今からでもまだ間に合うか。通報とかされたらどうしよう。
僕はどうやら想定外の出来事にめっぽう弱く、慌てん坊。これも彼女に出会ってから気がついたことだ。
「いや、何でもないです! 間違えました! 失礼しまし「間違いなの?」」
刹那、彼女の世界と幸福が広がった。
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