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しばらくして、僕たちは昭和の雰囲気漂う古びた喫茶店に入った。傘を畳む彼女の手が赤い。寒い思いをさせてしまった、と反省する反面、その美しさに思わず息を飲んだ。
初デートにこの場所を選んだのは、僕の独断であった。モノクロの彼女は、カラフルな場所は好きではなさそうだ。という、勝手な想像。
「注文、決まった?」
それなりに狭い店内に、僕の声が響く。いつもなら考えられない程の至近距離にいる彼女を、僕は直視できなかった。
「なんでもいい」
「好き嫌いとか、ない?」
「大丈夫」
少しだけ彼女の顔を窺い、反らす。近くで見てもやっぱり綺麗だ。そんなことを考えてしまったことを誤魔化すかのように、僕は店内を見回した。
「すみません」
声が震える。情けない僕を見守るかのように、優しげな表情の店員さんがこちらへ寄ってきた。
「はい。ご注文は」
「ブレンドコーヒーと、このサンドイッチを」
指差しで伝える。あんまり長く喋ると、うわずってしまいそうで怖い。彼女のぶんは、どうしようか。
無意識に彼女の方を見やると、彼女は少し考える素振りを見せ、
「私も、同じものを下さい」
と言った。
「かしこまりました」
変わらぬ微笑みのまま深々とお辞儀をして、その店員さんは奥へと消えていった。
「よかったの?俺のと同じで」
「うん」
俯きがちに話しかける。顔をあげた方がいいことくらいわかってはいるが、どうにも落ち着かない。
「そっか。コーヒーは、好き?」
「普通」
「普通かぁ。俺、紅茶よりコーヒー派なんだよね」
返事は返ってこない。いつものことではあるが、自発的に言葉が溢れることは、ないのだ。
「君は?紅茶とコーヒー、どっちのが好み?」
そしてこういう「選択」をさせるような質問には、明確な答えは返ってこない。
「どっちでも」
「そうだよね。好き嫌いもないみたいだし」
話せば話すほど、彼女の世界には不思議が溢れてくる。好きや嫌い、やりたいやりたくない、欲しい欲しくないといったような、欲求の感情を彼女は持ち合わせていないようだった。
その不気味なほどの感情のなさと、表情のなさ、そして色のなさ。それを僕は、彼女の世界と呼んでいた。
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