第一章 白黒の彼女

1/7
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

第一章 白黒の彼女

吸い込まれそうだ。  初めて彼女を見たとき、寝惚けた頭に衝撃が走ったことをよく覚えている。遠く離れていく電車も、激しく地面を叩く水も、剥げた木々を揺らす風も。変わらず音をたてているはずなのに、まるで耳に入らない。世界が止まってしまったかのように、僕はその深い黒色から目が離せなかった。  ごうっと、その黒色を通過列車に隠される。見るべきものを失った、途端に僕の時間は動き出す。時刻表に表示されているのは約一時間後。持て余していたはずの時間は、とうに足りないものに変わっていた。 「描かなければ」 思わず口からこぼれる。その微かな想いは、たった二人しかいない空間で、彼女に届いてしまっていたのだろうか。当時の僕では、彼女に 「声が届く」という考えに至らなかった。彼女は「彼女」であり、僕にとって気にすべき「人」ではなかったのだ。  鞄から大判のスケッチブックを取り出す。それは確かに僕のもので、所々擦りきれるまで使い古したものだ。それなのにもかかわらず、その時の僕は、新しいおもちゃを貰ったばかりの子供のように錯覚した。こんな感覚は忘れて久しい。新しいスケッチブックに、僕は無我夢中で世界を描いた。  今でもよく覚えている。あの時の彼女は、モノクロの世界にいた。頭には真っ直ぐな黒色。コートはグレー。白色のタートルネック。肌はまるで透明のように感じられるほど淡く、色のついていない顔面。そこに、瞳の黒色がとても深く色付いていた。  黒が深い。それは実に妙な表現である。色彩の世界において、黒色とは、何と混じり合っても変わらぬものであるはずだ。それなのになぜ、こんなにも深い黒色が存在するのだろうか。モノクロの世界にいる彼女。それはとても鮮やかに色を放っていた。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!