第一章 白黒の彼女

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 その日は結局、終電の時間までペンを握り続けていた。彼女があの場にいる限り、食べることも寝ることも忘れて描き続けられるのではないかと思ったほどだ。「終電の時間まで」と言うよりは、「彼女が去るまで」ではあったのだが。帰る頃にはすっかり日は落ちており、人気のないその場所の周りを、月と星々がぼうっと照らしていた。 「お前、バカじゃねーの」 お調子者の友人がけたけたと声をあげた。 「こんな季節に人気のない寒い駅でこの量って……」 言われているのは、スケッチブックを埋め尽くしたラフのことである。 「うるせえな、俺だってやるときはやるんだよ」 「よく言うぜ! 〆切破りの常習犯のくせして」 取り掛かりが遅い訳ではないのに〆切を過ぎることで有名な僕が、一晩にしてこの量を書き上げたのだ。驚かれるのも無理はない。  ここで一つ理解しておいてもらいたい。ニヤニヤと終始小バカにした様子の友人ではあるが、決して僕をぞんざいに扱っているわけではなく、また僕も、人をおちょくるような顔のこの男を嫌だと思ったことはない。 「いい題材を見つけたんだよ」 「ふーん、このド田舎の駅が、ねぇ」 「いいから完成を待ってろって」 そうは言って見せるものの、実際に描いたラフは、昨日偶然辿り着いてしまった寂れた駅の風景ばかり。同じような構図を、何枚も何枚も。到底何が良いのかなんて想像が出来ないであろう代物だった。 「ただの駅じゃ、ないんだ。 とにかく、色がつくまで待ってくれよ」 僕はそう言うしかなかった。この逸る気持ちを、彼女の世界を、この友人に対してさえ、言葉で表現する方法を僕は知らなかったのだ。 「お前がそこまで言うならそうなのかね。はやく仕上がることはなさそうだけど」 最後の一言は余計である。  この頃の僕は、特に手が遅かった。それに加えて駄作が続き、駄作が続くと悩み、さらに手が遅くなる。わかりきった悪循環だ。しかし最高の題材を見つけた今、見てろよ、という気持ちが大きく膨らむ。このままではつまらない風景にしか見えないだろうが、肝心なのは色だ。完成作を見せて、皆をあっと驚かせてやる。そして、次の受賞はこの僕しかいない。 そう思うくらいに、僕の脳内は鮮やかに色付いていた。
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