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「あの、なにか」
その時、僕にはひとつ、大きな誤算があった。それは、彼女は「彼女」ではなく、僕と同じ世界に生きる「人間」だったのだ。つまるところ、喋りかけられる、なんて思考は頭の片隅にもなかったのである。
そして人間予想外の出来事に出会ったときには、パニックに陥るものであり、それは僕も例外ではなかった。喋りかけられたことにより、彼女が人であるという意識と、凄く美人の女性であるという自覚がどっと押し寄せる。
「あ、いや、怪しい者じゃないんだけど」
例外どころか典型中の典型。自慢じゃないけれど、僕は女性と会話をするのが得意なタイプではない。いわゆる大パニックである。怪しい人は大体こう言う。彼女の顔が訝しげに歪む。
あぁ、綺麗な造形が、もったいない。
「ちょっと待ってくれ。ほんとに怪しい者じゃない。僕は、」
……僕は?何も思い付かなかった。しがない絵描きで、歳は20で、毎日ここに通ってて。違う、そういうことじゃない。
彼女の眉間に深い溝が出来ている。嫌だ。
僕は、彼女に魅入られて、彼女に焦がれて、彼女を近くで、見たかった。
「……君のことを、知りたいんだ」
絞り出すように紡ぐと、じっと、深い黒色が迫ってくる。ように感じた。僕の心の奥を覗きこむような、そんな視線。何故?と目が語っている。今度は、促されるように、流されるように、自然と言葉が零れ落ちる。
「君のことが、好きだから」
何故なのかは僕にもわからない。
彼女の瞳は、赤色だった。
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