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こうたくんが、早くしなさいとママに背中をどんと押されて「おやすみえん」に来たのは、なんとなく肌寒い、曇った春の日のことでした。
小学生になったばかりのこうたくんは、黒いランドセルを重そうに、背中を丸くして背負っていました。
じゃあね、とママが背を向けます。
ママ、ママ行かないで。
こうたくんは、ママにしがみつきました。
でも、ママは「邪魔よ」とこうたくんを突き飛ばして、行ってしまいました。その場でしりもちをついたこうたくんは、ワッと大きな声で泣き出してしまいました。
こうたくんは、ママに甘えたかったようです。
でも、ママはこうたくんより、だいじなごようがあるみたいでした。
ママのすがたが、おやすみえんの外に出て行き、どんどんちいさくなってゆきます。
どうして、どうして、ぼくはママとずっといっしょにいたいのに。
いい子にするから、もうわがまま言わないから、ママ、ママ。
こうたくんは、ママに向かい、ずっと呼びかけていました。
ママはいつも、こうたくんを「おやすみえん」へ連れて行き、さっさとでかけてしまいます。
泣いているこうたくんをいちども見ないで、背中を向けて。
お花みたいなにおいと、まっかな赤いお洋服で、靴のかかとをならして、かつかつと歩いて行ってしまうのです。
いつも、ママは板みたいなものをもって、しきりに指でなぞっています。
走ってきた車にも気づかずに、クラクションを鳴らされました。
それでもママはぎゅっと眉のあいだにしわをよせて、板みたいなものをはなさず、運転手をにらみつけました。
ママ、ママ。
こうたくんは泣きじゃくりながら、小さな声でママを呼びました。
でも、ママには少しも聞こえていませんでした。
そのはずです、ママは大きな声で、こうたくんに話しかけるよりも優しい声で、だれかとお話していたのです。
こうたくんが聞いたことのない、きれいな声で。嬉しそうに。
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