さよなら、愛しき私の異形

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「私はあの人がとても怖い」 「だったら、なんで」  何かを言いかけた神野さんを遮るように、言葉を重ねる。 「だって、きっとあの人はもうすぐ、此処から居なくなってしまう。私を置いて。倖せを与えるだけ与えて、居なくなるんです。私は、それが、怖い」  神野さんは、訝しげに顔を顰めた。 「居なくなる?」 「居なくなりますよ、あの人は、きっと、もうすぐ」  それは神野さんが来た事で、また近くなっただろう。そうも思っていた。神野さんが来た事で、私は改めて、私と隆二が違う生き物だということを思い知らされた。隆二もきっと、そうだろう。  私達の生活を支えている、砂の土台を神野さんは抉ったのだ。それは少しでも、いずれ重みで崩れる筈だ。 「私は、ずっとあの人と一緒に居てあげることが出来ないから。あの人は、優しくて、臆病だから、私を看取る勇気が持てずに、私が死ぬ前に、此処から出て行く筈です」 「……あー、ありそうだな」  神野さんが苦い顔をして言った。  先生は、聞こえないフリをするかのように、唐突に器具の片付けをはじめた。 「だから私は、怖いと思っています。でもそれ以上に、私は、あの人を置いて逝ってしまう自分が嫌いです」  無理な相談だとは判っていても、私もあの人と一緒に、永遠を過ごしたかった。ずっと、一緒に居たかった。あの人を独りなんて、させたくなかった。 「……彼奴のこと、本当に好きなんだな」  辛そうに吐き出された言葉に、私は微笑んで見せる。 「ええ、とても」  痛みを伴う思いでも、私はあの人を愛している。それはとても倖せな事だから、私は笑う。 「……正直、俺には彼奴が何を考えているのかが理解出来ない。人間と一緒に居る事を選ぶなんて」  神野さんは私から視線を逸らし、床に落とす様に言葉を紡ぎ出していく。 「俺達はもう、人間じゃない。人間になんてなれない。人間と暮らす事なんて、出来る筈が無い。茜ちゃんはどんどん歳をとって、死んでしまうのに、俺達はそれについていけない。お互いに傷つく事が判っているのに、なんでこんな選択をしたのかが理解出来ない。彼奴、そこまで莫迦だとは思えないのに」  長々と吐き出された言葉が、床の辺りで渦巻いている。神野さんの言った事は事実だ。そんなこと、 「私達だって、判っていますよ」  無理をしているということ。頭ではきちんと理解している。
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