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覚悟はとうに出来ていた。
貴方が居なくなる事。貴方が私以外の誰かと生きていく事。全ての覚悟が出来ていた。そのつもりだった。
そして、その日は、思ったよりも来るのが遅かった。
「少し、外の世界を見て来ようかと思うんだ」
貴方が早口に言った時、嗚呼、遂にこの日が来たのか、と思った。
貴方が居なくなる日が。
でも、それは思っていたよりも遅かった。
それは、あの缶蹴りで遊んでいた小さな太郎君が、少年から青年へ変わりかけるぐらいの時だった。
人伝に、一条葵が結婚し、第一子の男の子を出産したと、聞いたぐらいの時だった。私が一条葵の予備としてもお払い箱になったぐらいの時だった。一条家に跡取り息子が生まれたのならば、例え葵が死んでも、私は要らないのだ。
いずれにしても、貴方と暮らせるのはもっと短いと思っていたから、思っていたより長かった事に少し感謝していた。
そして同時に、これは私の我が侭だけれども、とても残念に思った。
隆二にははっきりと言っていなかったけれども、私の心臓の調子は、その年の冬から、ずっと悪かった。本当に。いよいよいつか、止まってしまうのではないかと、毎日びくびくしていた。ただ起きている、それだけの事が、本当にしんどかった。
それと同時に、私は期待もしていたのだ。このままだと、隆二に看取ってもらうことが出来るのではないか、と。貴方を苦しめる、私の我が侭だけれども、そう思っていた。
そんな感情でごちゃ混ぜになった私を見て、何を思ったのか、貴方は言い訳のように続けた。
「ずっと此処に居たから。研究所とか、今どうなっているのか知らないし、状況把握っていうか。旅行っていうか」
早口の言葉。
そんなに取り繕ったって無駄なのに。貴方は嘘が下手なんだから。
「……そう」
もっと上手く、嘘をついてくれればいいのに。でもそんなの、隆二じゃないわね。
ずっと前から、貴方が居なくなることは覚悟していた。それでも、実際に言われると、心が揺さぶられて、痛んだ。
泣きそうになるのを、一つ息を吸う事で耐える。
「判った。……でも、ねえ、幾つか約束、してくれる?」
微笑みながら言うと、隆二は軽く頷いたものの、気まずいのか視線を逸らした。
嗚呼、本当、臆病なのだから。
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