「こんにちは、あの人が愛した周縁の街の朝焼け。」

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 君が語る話が好きだった。 とりとめのない、つかみ所のない謎の話。 なんだかそれらの話を聞いていると心が安らいだ。 あまりに現実世界と関係がなさ過ぎる話だからだろうか、聞いたとしてもなんら役に立たな過ぎる話だからだろうか、何にしてもこの荒廃とした現実において彼女の話、彼女の存在は僕の心のオアシスなのだった。 つまり、僕が彼女に感じるように彼女は八猿湖を拠り所としているらしかった。 「オアシスか。なんだか素敵な響きだね。そう八猿湖は私のオアシスだよ。」 そう無邪気に言う君はもう一年近く学校に通っていない。 あの日、学校に行かなくなる前の日、君はススキだらけのタタラ川の河川敷で「階段の踊り場で消しゴムが二つ落ちていたの、それを指し示すかのように2Bの鉛筆が隣に転がっていて、私それを見てあっ世界が終わるって思ったの。直感的にね。そしたら突然キーンと耳鳴りがして、階段の上から翼の生えた豚が歩いて降りてきて私にお告げをしたの。……家にいろって。」と告白をした。 極度の不安は人をおかしくさせる。 人は誰もが不安を抱えるものだけれど、その量は人それぞれで、何に不安を感じるかも人それぞれで。 人それぞれという事は確たる不安なんて存在はこの世にはなくて、それは同時に世の中は全て不安で出来ているとも言えて。 でもそう言えるだけで世の中の全てを不安だと感じる人は多分いない。 皆自分なりの”心地よい”を持っていて、不安の量が多い人程その”心地よい”を探すのがとても上手で。 何故なら”心地よい”がなければとっくに死んでいるからで。 心をパキパキに折られ目から光彩を失い一生心の病院生活を余儀なくされちゃうからで。 多くの不安を抱える人間は(わら)にも縋る想いでその(わら)を探す。 見つけた(わら)は絶対なのだ。 だから彼女にとって八猿湖は格別のものなのだ。 「ねえ藤村君のオアシスは何処?もしくはなに?」 そう聞く君が着ているテディベアがプリントされたオーバーサイズの明らかにダサイお気に入りのtシャツの襟元が先週よりもだらだらになっていて、心のオアシスも時間と共に変わっていくのだろうかと少し不安になった。 窓の外を見るとさっき見ていた入道雲の形が変化していてその気持ちに拍車をかける。 ――雲散しやがってからに。
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