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レズビアンの風俗があるという事は、鬱病を発症する前から、知っていた。
恋人探しが難しくなってきた、30代後半頃の事だった記憶がある。
だけど、いくら恋人探しが難しくても、お金を払って、自分の性欲を処理したいとは、その時は思えなかった。
むしろ、風俗に対する潔癖な倫理観が、その存在を却下した。
レズビアンの恋人探しのツールは、色々ある。
レズビアンバーや、イベント、オフ会、ネットの掲示板。
30歳になる頃までは、その気になりさえすれば、相手はいくらでもいた。
女でも、男でも。
だけど、寧音の場合「両思い」というのは、容易な事では無かった。
まず、男性っぽい女性は、苦手だった。
そして、セクシャリティ上、寧音は「ネコ」と呼ばれる、「受け」でしか、快感を得ることが出来ない体質だった。
「リバ」と呼ばれる、どちらも出来る関係性でのセックスが出来ない。
だから、相手は「バリタチ」と呼ばれる、「攻め」だけを好む相手に限定される。
何よりも恋人探しのネックになっていたのは、初恋の女性の存在だった。
寧音が中学一年生の時に、一つ年上の女子生徒を好きになった。
彼女は、すらりと背が高く、黒髪のボブが似合う、色白で、人形のような美しい顔立ちをしていた。
美しい顔立ちに不釣り合いなほど気が強く、特に、男子生徒に対しては、過剰な程に攻撃的だった。
学校の廊下で、彼女と男子生徒が激しく言い争う光景を、何度が目にした事はあったけれど、寧音に対しては、いつでも優しかった。
本好きな寧音が、図書室で本を選んでいるときに、彼女に声をかけられたのがきっかけだった。
互いに、好きな作家の作品の感想を話し合ううち、触れあうようになり、そして、密かな関係を持つようになった。
寧音は、女性同士が愛し合う事に、抵抗感は無かった。
むしろ、とても美しい関係だと思っていた。
彼女の両親が留守をする、日曜日の午後・・・・・彼女の家の、彼女の部屋で、密やかに関係を持った。
平日は、校内で彼女の姿を追い求め、姿を見るだけで心が弾んだ。
誰にも言えない、秘密の関係。
男子生徒の品定めがメインの同級生とは馴染めなかったけれど、本と彼女の存在が寧音の学生生活を支えた。
校庭で体育の授業を受けている彼女の姿を見たくて、いつも窓際の席に座っていた。
そんな寧音に気づいて、彼女が手を振る。
教諭に注意をされる。
そんな時に、寧音は万葉集の、有名な句をノートに書き連ねた。
『あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』
中世の宮廷貴族のように、詩や短歌の送りあいをした。
その為に、文房具屋に立ち寄り、綺麗な便せんを買い集めるのが癖になっていた。
高校も、同じ高校へ進学する事が出来た。
だけど、県外の大学を選んだ彼女に、ついていく事は出来なかった。
二人とも、まだ、「養われる」立場にすぎなかったのだ。
その「現実」が、二人の関係に、終止符を打った。
5年間の日々を例えるならば、「蜂蜜酒」。
しびれるような、極上の甘さ。
度数の高いアルコールが、みぞおちのあたりを、きゅうっと締め付けるような痛み。
その甘さと、痛みに、心が解放されるいく快楽。
その「酔い」を、昔の事と、忘れる事など出来なかった。
大学生になって、周囲の女子学生が『結婚』に必死な様を目の当たりにして、自分がいかに『異端』だという事に気づいた。
寧音の中で、あれほど自分の身も心も酔わせた同性愛は、封印せざるを得なかった。
何人かの男性と付き合い、就職して、職場で条件の良さそうな男性と結婚したのが25歳の時。
だけど、すぐに離婚する事になった。
わずか3ヶ月で離婚をしたのは、愛が無かったせいかもしれないけれど、結果的には、結婚相手の不倫が原因だった。
結婚する前から、別の女性と付き合っていることは知っていたけれど、決まっていた結婚を取りやめることは出来なかったし、結婚すればその女性とは別れてくれると思っていた。
だけど、相手は、結婚後もその女性との関係を続け、家にも帰ってこない日が続いた。
相手に対して愛情が無くても、自分という存在を無視され、帰宅するかどうかもわからない夜を悶々と過ごすのは想像以上に辛いものだった。
仕事のストレスもあり、耐えきれず、寧音から別れを切り出した。
「女の人生は結婚して子供を産み育てる事」と信じる人達の、哀れみの目が、寧音のプライドを粉々に打ち砕いた。
地面にたたき付けられた寧音が、再び立ち上がり、輝きを取り戻す事が出来たのは、仕事のおかげだった。
仕事に打ち込む程に、自分を取り戻せるような気持ちになれた。
仕事の評価が高ければ高いほど、自分の評価が高いような気持ちになれた。
仕事にすがっていたのかも知れない。
寧音は、自分の存在価値を仕事に見いだしていた。
やがて寧音は、転勤を命じられ、大阪支店へ。
人の噂も七十五日と言うよりも、誰も寧音の『離婚』については、触れようとしなかった。
孤独な中でも、寧音は真面目に仕事をこなし、一人暮らしも、寂しいながらも丁寧な生活を心がけていた。
いつかまた、恋に落ちるかもしれないから・・・・・・まだ、そんな「夢」は失っていなかった。
鬱病と診断されたのは、12年前の事だった。
40歳を目前にして、最年少の商品企画部の課長となった寧音は、溢れるほどの仕事を、担当させられた。
企画という仕事は、事務職や営業職と違い、エンドラインが決めづらい。
「もの作り」には、「期限」があり、その期間中で「クオリティ」が求められる。
そして、そのプロセス(過程)を明確にしていかなくてはならない。
寧音は、優秀だったが故に、優秀で無い社員の仕事までこなさなければならない立場にあった。
寧音はもくもくと、仕事に励んだ。
朝、誰よりも早く出勤し、一番最後に退社。
上役との飲み会や、支店での接待で午前様になる事も、ざらだった。
気づけば、「自分の時間」というものがほとんど無い状態。
寧音の心は、じわじわと削られ消耗していた。周囲も、本人も気づかないうちに・・・
それは、唐突に訪れた。
夜、ぐっすりと睡眠を取ることが出来ない。
寝なくては・・・と焦れば焦るほどに、目が冴える。
眠りに落ちきる前に、けたたましい目覚まし時計に起こされる。
昼間に睡魔が襲うようになり、些細なミスを繰り返すようになった。
食欲が無くなり、徐々に痩せていった。
スーツのサイズが、3つ落ちた頃、耳が聞こえなくなった。
水の中に沈んだように、音が響かなくなり、不気味な浮遊感に包まれた。
そして、息苦しさと目眩が襲い、そのまま意識を失った。
拒食症と診断され、3ヶ月入院した。
一度は復帰した。
しかし、半年後に再び同じ症状が現われ、会社のしかるべき機関と相談の上、休養に入った。
約1年の休養の間、何をしていたのか、ほとんど記憶が無い。
覚えているのは、躁鬱の症状と、爆食とおう吐を繰り返しては、泣いていた事・・・
そして会社には、復帰出来なかった。
実家に帰ることも、出来なかった。
離婚をしたときに、「家の敷居は二度とまたぐな」と言い渡されたからだ。
寧音は、たった一人で、心の病に立ち向かわなければならなかった。
もともと『異端』の寧音は、心許せる友達すら居なかった。
仕事だけが、寧音の心の支えであり「存在価値」だった。
その仕事を失ったのだから、鬱病の治療は長引いた。
仕事を探そうとすると、パニック障害のような症状が出るので、再就職もままならない。焦燥感と、虚無感と、死への誘惑との、不毛な戦いは続いた。
戦いが長引くほどに、生活レベルもどんどん落ちて行く。
オートロックで、コンセルジュまで居た賃貸マンションを引き払い、徐々に家賃の安い部屋へ。
貯金はすぐに底をつき、かつての華やかな時代を彩った高級ブランド品は、ネットオークションで売りさばかれた。
障がい者年金の申請を、勧めてくれたのは、心療内科の医師だった。
市役所の窓口で、手続きをしながら、涙が溢れて止まらなくなり、担当者からいたく同情された。
もう、私の人生は終わった・・寧音はそう思った。
軽量鉄骨の、寒々しい2階建てのワンルーム。
それが、最後にたどりついた寝床だった。
外に出かけるのが、人に会うのが、とにかく煩わしい。
それに、人と会うという事は、お金がかかる。
化粧もしなければならないし、美容院にいかなくてはいけないし、ネイルサロンにもいかなくてはいけないし、それなりの服装も必要だ。
それに、食事代やお茶代に交通費の負担。
逢っても、聞かされるのは、既婚者ならば、夫の悪口、姑の悪口、子供の愚痴。
未婚者ならば、仕事と恋人の自慢話か、上司と職場の女子社員の悪口だ。
どちらも、精神衛生上悪い事、この上ない。
寧音には、デメリットはあっても、メリットは何も無い。
逢う事を避けているうちに、友達というものは、寧音の頭からデリート(削除)された。
寧音は、心の安定の為に、あえて『孤独』を選んだのだ。
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