「おはよ。」

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「ペンとインクはあるか?」 俺は聞いた。 大切なそれだけだ。頭の中には、これから展開される物語の、ほぼ完全なヴィジョンが浮かんでいる。60年前から、一切色褪せていない。 まあ、俺にとっては一瞬に近い時間だったのだけれど。 「用意しておいた」 そういうと娘は、ペンとインクではなく、一枚の紙切れを俺に差し出した。そこには住所が書かれている。 「そこに道具を一式揃えてある。申し訳ないけれど、お世辞にもあまり良い環境とは言えない。私達はお父さんほど、裕福にはなれなかったから」 「ありがとう」 俺は娘に言った。 「ごめん」 娘が言った。 「本当に、ありがとう」 俺は言った。 娘を抱きしめたい衝動に駆られたーー今や自分よりも遥かに年を重ねた娘を。けれども、寸前のところで思い留まった。俺は彼女のすぐ側まで近づき、頬にかかった髪を解いた。 「これだけは覚悟しておいて」 娘が、俺の顔をまっすぐ見つめて言う。 「今はお父さんの住んでいた時代とは違う。何もかもが変わってしまっている。マンガを読んでいる人なんて、余程のもの好きだけ。まず勝ち目はない」 俺はこっくりと頷いた。
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