3人が本棚に入れています
本棚に追加
ペンを握る。
ペンについたインクを、丁寧に拭き取る。保存状態はとても良い。60年の歳月を経ていることを考えれば、奇跡的なレベルだ。
インク瓶に、ペンをゆっくりと差し込む。ペンの先端から底の方まで、インクがしっかりと充填されていくのがわかる。
まっさらな原稿用紙の上でペンを滑らせる。抑揚の効いた線が原稿用紙の上で弧を描く。
ペンの動きにまかせるがまま、線を走らせる。それは次第にひとつの絵を構成していく。
これは何だ?
ああそうだ。
これから語られるであろう物語のキャラクターだ。ひどく滑稽でいて、どこまでもシリアスな、俺の主人公。
悪くない。
線に意味が戻っている。
まったく、悪くない。
線それ自体が、作品を語っている。物語を伝えようとしている。これだ。これだこれだ。これが俺の漫画だ。俺の全てだ。
21世紀が終わろうとしている。
漫画なんてもう誰も読んでいない。
紙の本は死んだ。
自然を破壊するとして、法的規制の対象にすべきだという議論が真剣になされている。もう10年もすれば、紙の本は博物館でしか見られなくなるだろう。
だが、それがなんだ。
そんなことはどうだっていい。
大切なのは、線の重みだ。線の意味だ。
それが「存在すべき」線であるならば。
語られるべき物語がそこにあるならば、道はひとりでに現れるだろう。
線が導いてくれる。
あるべきところに。
娘が用意してくれた部屋の片隅で、時代遅れのペンを握りながら、俺は新たな時代を感じていた。
最初のコメントを投稿しよう!