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フェンスの外にある淵から、前に一歩踏み出した刹那、足から順に宙に浮かぶ不安感と味わったことの無い不安感に襲われた。
全身が風に包まれるかのように圧がかり、速度が増しているように感じる。
自分で選んでも、解りきっていても。やっぱり死ぬことは恐いようで。
張り詰めるように心臓が痛くて、身体中が熱くなった。
無抵抗に空を仰ぐ手足と、いつの間にか逆さになった身体に不思議と涙が零れる。
風に靡くネクタイとスカート、そして肩程度しかない髪。
そのどれもが、ほんの一瞬のはずなのに自由落下をとても長い時間に感じさせるには充分すぎた。
生温い涙だけが宙に留まる虚しさに、私は何故か微笑む事しか出来ない。
『ゴメンね』
だからせめて怒らないで。そしたらもう何も要らないから。
あんなに煩わしかったはずの蝉の声はもう聞こえない。
宙に留まっていたあの涙のように、私の最後の言葉も……あの蝉の声さえも、この風に掻き消されてしまったのだろうか。
八月二十日
夏休み、井坂透は死んだ。
死因は飛び降り自殺……のはずが、目覚めると目の前には見たこともない異国情緒漂う小さな街並が広がっていた。綺麗な夕日がまるで作り物のよう。そこには想像した病室の白い天井や、柔らかい色のカーテン、点滴の欠片もない。
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