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本編
猪口を口に運んだ時、籾井仏弥は親爺に向かって笑みを浮かべた。
ぬる燗。好みの具合である。板場の親爺は、仏弥を見て小さく黙礼した。
肴は、蒟蒻と鰯の煮物。辛めの味付けとなっている。
仏弥は肴を突きながら、続けざまに一本を空けた。良い酒だ。水で薄めたような粗悪品ではない。ピリッとした辛味と芳醇な味わいは、気品すら感じる。
仏弥は空いた徳利を持ち上げると、親爺に向かって振ってみせた。
親爺が頷き、すぐに二本目がつけられた。
「旨いね」
「恐れ入りやす」
天崎藩城下、浪子町。酒と男達の汗の臭いでむせる、南端橋近くの居酒屋である。屋号は〔酒処 五郎左〕という。
土間に机が三つと、奥には座敷席。衝立で仕切られ、二組は入れられるようにしている。
小さな店だ。入り込んだ小路にあるからか、夜の帳が下りても、客は仏弥の他にはいない。
(だが、良い店だ)
城下の片隅、しかも小汚い場末には勿体無いほどである。
「お客さん」
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