第一章 相対取引(あいたいとりひき)

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「老後までとっておかないんですか?」  私の母親はいつも老後の心配をしている。  ひとみさんは、頬杖をついた。 「老後があるかなんて、わかんないでしょう。生きているうちに人生は愉しまないと」  私は、首をかしげた。 「僕の両親、老後らしい老後がなかったからね」  ひとみさんは、片方の眉をあげて、冗談のように言ったけれど、笑えなかった。ご両親の分まで、人生を愉しもうとしているのかもしれない。 「絵を描くことが、ひとみさんの愉しみなんですか?」 「学生時代はたくさん絵が描けたのに、社会人になったら全然時間がなくなって。仕事が嫌いな方でもなかったけど、働かなくても当分困らないなあと思ったら、絵が無性に描きたくなったんだよね。実は、今日から描きたい物を探す旅に出ようと思ってたんだ」  私は、一瞬思考が停止した。瞬きもせずに、ひとみさんを見ていた。ひとみさんが、私をみて不思議そうな顔をした。  断ったら、旅に出てしまうんだろうか。 残り少なくなった自分のコーヒーをみて、気持ちがさらに落ち込む。 「ちょっと質問いい?」  私は頷いた。 「君は、僕のことを前から知ってるみたいだけど、いつ頃から?」 「一年くらい前です」  思い出そうとしているのか、少し眉根を寄せて私の顔をみていた。 「僕はどうして知らなかったんだろう」  バイトに入った平日の朝には、必ず会っていたのに哀しくなる。 「よほど、余裕がなかったんだろうな」  ひとみさんは、マグカップのコーヒーを飲み干した。 「ところで、引き受けてくれるよね?」  少しまじめな顔でそう言った。 「あの、どうして、私なんですか?」  目を細めた。 「『スマイル0円』に革命を起こしたいって思って」   私は、意味がわからなくて何度も瞬きをした。
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