第一章 相対取引(あいたいとりひき)

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 リビングにはテレビも見当たらず、まだ何も描かれていないキャンバスがあり、木製の大きな写真立てのようなものに立てかけてある。 「家具をほとんど捨てちゃったんだよね。律に似合う椅子を明日探しに行こう」  ひとみさんに言われて、ソファに腰掛けた。生活感がないせいか、部屋に入ってから少し緊張が薄らいだ。  テーブルの上にひとみさんが書類を置いた。 「目を通して。問題なければ署名捺印してね」  書類を手に取った。  契約書とタイトルがあり『人見 靖彦(以下甲という)』と始まった。  わたしは顔を上げた。 「ひとみさんってこうやって書くんですね」 「漢字? そう、瞳だと思ってたの?」と自分の目を指差した。 「漢数字の一と何かかなとか」  人見さんは頷いた。  わたしは書類に目を通す。  時給について五千円と書かれていたのでまた顔を上げた。 「時給が高すぎます。言われてたのでも高すぎるのに……」 「派遣でよくある時給に交通費含むって感覚でさ」 「交通費いらないじゃないですか」 「キリがいい方が計算が楽でしょう」  人見さんは多分、かなり計算が速い。四千二百五十円だろうとそう苦にならないはずなのに。 「君に不利な部分って講義や僕の認める用事以外、僕のところに来なきゃいけないってとこだけでしょう」
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