1章 容疑者たち

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 サバランはブリオッシュ生地にシロップをたっぷりとしみこませたフランスの伝統的なケーキだ。  小判型のブリオッシュの間にふんわりしたクリームが挟まっているだけのシンプルな見た目だが、三枝はこれ以上にうまいサバランを食べたことがない。 「きよあきさんは、どちらになさいますか?」 「残っているのはあんずとラムですね。翠さんが好きなのがラムなのですから、あんず以外にないと思いますが」 「あら、正解です。でもご褒美はありません」 「いえ、問題ありません」 「子供のころは、選ばせてもらえないと泣くほど怒ったのに。すっかり可愛くなくなってしまって」 「一体、いくつのころの話をしているんですか」 「きよあきさんが3歳、わたくしが11歳のころですね」  そんなやり取りを尻目に、三枝は目の前のサバランをじっと見つめた。  ケーキを乗せている銀のホイルに染み出しているシロップから、ラムの香りが立ち上る。  提供してくれた相手や上司より先に手を出すわけにもいかず、ずっと「待て」の状態だ。 「……三枝君」 「はい」  一瞬だけ上司に視線を向けたが、三枝の目はすぐにケーキに戻る。 「先に食べていていいぞ」 「ありがとうございます!」  プラスチックのスプーンをブリオッシュ生地に差し込むと、まるで吸い込まれるように沈んでいった。  たっぷりシロップを含んでいる証拠だ。  上から下まで、ゆっくりと切り込んでいき、シロップでひたひたになっている一番下の箇所までを一度に口に運ぶ。  じゅくりと生地がつぶれ、きめの粗いブリオッシュ生地の間からラムシロップが染み出てくる。  程よい苦みを含んだシロップとクリームが口内で混ざり合い、ブリオッシュの触感を引き立てる。 「ん~……!」  スプーンを持ったまま、テーブルの上を叩きたくなるが、そんなことをしたらケーキが崩れてしまうので必死で耐える。 「うまっ!!」  二口目も豪快に食べたくなるが、そんなことをしたらあっという間になくなってしまう。ジレンマを抱えながら、程よいサイズに切り分け、口に運んでいく。 「うう……やっと食えたー! 本店のサバラン……」
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