236人が本棚に入れています
本棚に追加
/194ページ
何事かと驚いてそちらを見たが、何のことはない。
忠生が扇子をてのひらに打って音を鳴らしたらしい。
「すみません、ちょっと向こう、戻りますね」
それまで笑顔だった宏紀の顔が引き締まる。
この舞台の中心で動いているのは劇団菜摘のメンバーだ。
彼らに一斉に緊張感が満ちた顔で中央にいる忠生を見ている。
「ラストシーン、通し、始めるぞ! 音楽から!!」
忠生の言葉とともに、全体の空気もビシリと変わった。
吹奏楽部の音楽が鳴り響く。
宏紀と話している間に、移動していた合唱部も、舞台の上で歌っている。
合唱部のメンバーは歌いながら舞台に上がり、不ぞろいに立ち止まる。
時々、立ち止まったメンバーの間を歩いていくものがいる。
移動しながらもちらちらと式をしている愛子を見ているのが分かった。先ほど言っていた合図を待っているのだろうか。
何人かは空中ブランコの飛び降り台に設置されている階段の途中で座った。
三枝はオペラなど見たことはない。もちろん、これまで興味を持ったこともなかったからどのようなものかも知らなかったが、凄そうだという事だけは分かった。
突然、音が小さくなり、雰囲気が変わったと思うと翠が現れ、歌声が響いた。
(うわ、すげぇ……)
圧倒的な声量と質、音の厚みが違う。
翠の小さな体のどこからそんなに大きな音が出てくるのか、全く分からない。
これまで聞いたこともないような美しい響きが、三枝の内臓を震わせる。
舞台の上の翠は、小さな少女には見えなかった。
愛しい男を失った一匹の魚を憐れむ、女神だ。
最初のコメントを投稿しよう!