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真っ黒な瞳、真っ黒な髪。
そのとき初めて、翠が紗川の従姉妹なのだと思った。全く似ていないと思うのに、瞳と髪の黒さが同じだ。
「きよあきさんが貴方を可愛がる理由がわかります」
「え」
「わたくしのこの様な外見に違和感を覚えたことでしょう。けれどそれよりも口調についてお話しされた」
小さな手が伸びて、よしよしと頭を撫でられた。
「いい子ですね」
居心地の悪さとくすぐったさが同時にやってきて、どうしたらいいのかわからない。
困惑していると、翠は手を引っ込めてお茶を手にした。
「ところで、つむぎさんは『依頼』について、ご存知でしょうか」
話をそらされたと思ったが、より重要な問いに答える方が優先だ。三枝は頷いた。
「依頼内容については?」
「全く聞いていません」
「では、オペラについてはご存知でしょうか」
「オペラは分かります。でこちらも内容は詳しくは知りません」
「分かりました。では今回の演目からお話しいたしましょう。つむぎさんは、かつてこの地で大きな戦があったことをご存知でしょうか」
「武田が攻め込んできたことがあるんですよね、ここ」
「ええ。その時代のお話です。ここから駅の方に向かって歩いていくと、二つの沼を結ぶ道にぶつかります。旧国道407号線。幼女連続殺人事件ではこの道沿いに犯行が行われたと言うことで有名ですが、それはまた別のお話です」
三枝が唖然としているいっぽうで、話は続いていく。
「東松山には二つの大きな沼があります。松山神社に近い方を上沼、駅に近い方を下沼と言いますが、これは男沼女沼とも呼ばれます。その由来にまつわる昔話……」
翠は「一言でいえば、仲の良い夫婦が争いによって引き裂かれた話です」と簡潔に告げてから、改めてその内容を話した。
「夫が武田軍との戦いで死んだと聞いた妻は、沼に身を投げ自害しました。しかし実は夫は生きており、妻が沼で死んだことを聞いて、死して再び会うことを願って沼に身を投じる――けれど、思い出してください、沼は二つあります」
先を想像して三枝は眉を寄せた。
「夫が身を投じたのは、妻が自害した沼とは別の沼でした。死して再び、と言う願いすら叶わず、それぞれ男沼、女沼と呼ばれるようになりました」
昔話にありがちなストーリーだが、なんとも切ない内容だ。
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