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紗川は拍手をしながら近づいてきた白髪の男に扇子を差し出した。それはもともと、その男、常陸忠雄のものだ。
どこにでもある、ごく普通の扇子だが、喉仏をつぶすように落とされれば、人は簡単に殺されてしまう。
借りたのは紗川だが、礼を言ったのは男の方だ。
「紗川さん、ありがとう、いいものを見せてもらったよ。木刀相手に扇子で十分だって言うから驚いたが、古武術と言うのはすごいね」
「これは実践的な『人の殺し方』ですから。古武術とは、派手なものではありません」
見せるためのものではないと言いたいのかもしれない。
例えば剣道は打ち付ける際に声を上げる。また、先ほどの紗川の動きのように、相手を地に落とすようなこともしない。
「何を言っているんだい。すごい緊迫感だったよ。うちの孝雄、よくわからなかったみたいだから、もう一度くらいどう? 今度は、もうちょっと動きが分かるようにゆっくり、モーションを大きめで」
「一度限りと、お約束させていただいたかと」
「そうか、どうしてもだめ? ……残念だ」
かつて激しい合戦が繰り広げられたという、武蔵松山城跡で繰り広げられた模擬戦はこうして終わった。
紗川は周囲のざわめきを気に留めず、三枝に預けていたものを回収すると、再び身につけていく。カフス、ネクタイと先ほどとは逆の手順だ。
フレームレスの眼鏡をかけた横顔には先ほどまでの殺気はなく、ジャケットを羽織ってしまえば、いつもと何ら変わりがない。
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