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 赤く染まってゆく床のタイル。  俺は、もうだめなのか……。本気でそう考えた。  突然の眩暈に襲われ、風呂場の床にうずくまった。口から真っ赤な液体が溢れ、海のように広がってゆく。肩で息をしながら、俺はそれを見ていた。  血……、なのか。  俺は今、血を吐いているのか。  貧血で視界は真っ暗、そこにチカチカと黄色い火花が散っている。  頭の隅に昼間の記憶がよみがえる。  二日続けて非番になったのは久しぶりだった。調子の悪いエアコンに見捨てられ、熱気に包まれた二階の和室で大の字になって寝ていた。暑さのせいで食欲がなかった。そのかわり、水分はまめにとっていた。……つもりだ。  実家から届いたスイカが食べごろで、それを朝昼晩に分けて食べた。だから水分は十分に……。 「あ……」  いくらか頭に血が戻る。落ち着いて床を見ると、赤い海の正体に気がついた。 「スイカか……。なんだよ、はは……」  自分のほかには誰もいない家で、一人笑った。  急に立ち上がらなければ、どうにか動けそうだ。口の中にじわりとしょっぱい唾液が滲んで、こんな場所にも冷や汗をかくものなのかと、どうでもいいことを考えた。  ぎゅっと唇を結んで、そのしょっぱさをごまかし、狭い洗面所に這い出した。床に放ったままの湿ったタオルを掴み、廊下の反対側にある四畳半の和室に移動する。  一階の北側にある四畳半は、風を通せば家の中で一番涼しい。  北斜面に建つ築五十年の借家は、夏はまだすごしやすい、そう不動産屋から聞いた。一階には狭いトイレと洗面所、畳一枚半の浴室のほかには、六帖の台所と今俺がのびている四畳半の和室があるだけで、二階まで合わせてもわずか十六坪の、小さな、小さな家。  急な坂道にへばりつくように建つ家は、ひな壇のような敷地のおかげで、窓を開ければ風が通る。
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