それは突然かわりはじめる。

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「入って」と言われた。足早に進む奏ちゃんの背中を追いかける。  ここに来ると私まず、毛足の長いほこり取りを手に取る。家具の猫みたいにかわいい。ほこりを払ってから、全室に掃除機をかける。奏ちゃんは「掃除なんか別にええよ」と言うけれど、私がやらなければ、誰もやらない。  吹き抜けの広いリビングにある飾り棚やソファやテーブル、その全てがイタリアのアンティーク家具だった。母の選んだ絵画やオブジェが、所々飾られていて、生活観のかけらもない。  キッチンは、リビングと繋がっている。壁もない場所にぽつんとシンクとガスレンジがある。そういうキッチンをアイランドキッチンと言うらしい。天井から降りている換気扇の縁からフレンチレストランの厨房にありそうな銅製のピカピカ光るフライパンや鍋がぶら下げてある。  寝室は藍色のファブリックで統一されている。カーテンも、シーツやベッドカバー、枕も、藍地で、うねるような金色の植物模様が施してある。青は心を落ち着かせる色だから、寝室にはちょうど良いと母は言う。  ダブルサイズのベッドの横には、出窓くらいの大きな写真が飾ってある。  夜桜の写真だ。藍色の空に浮かぶように枝垂れ桜が立っている。太い幹は一本だけなのに、花が咲き乱れている。  寝室に入るとしばらくは、その写真を眺めて過ごす。これは亡くなった祖父が撮った写真だ。奏ちゃんにとってはお父さんになる。  祖父は定年後、写真を趣味にして、あちこち祖母と旅行していた。  夜桜の撮り方は少し前に奏ちゃんが教えてくれた。  昼間に構図を決めて、三脚の位置を固定して、夜が更けた後で、シャッターを長い時間あけておいて撮影するのだそうだ。  奏ちゃんはその話をしてくれたとき言った。 「真っ暗で何も見えないと思っていても、じっくり目を開けて見つめていれば、そこにある物が見えてくる。桜が写しだされるように」  それは祖父の言葉らしい。  祖父母の話をするとき、奏ちゃんは哀しい顔になる。このことは私たちだけが分け合える痛みだと思っている。
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