22.終演

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22.終演

 電車を降りたら、雨脚がさらに強くなった気がする。だがいまはそんなことなど気にもとめず、足早にマンションへと向かって歩いた。  そうしていつもの通り道である、公園にさしかかる。  そういえばここで彼と出会ったんだったと、ふいに懐かしさが込み上がってきた。  あの日あの時、自分が雨の中に出かけていかなければ、彼とは出会わなかった。  不精をして外に出るのを先延ばしにしていたら、彼を想って胸を焦がすいまもなかったのだ。  感慨深く思いながら、公園へ足を踏み入れる。すると公園のベンチに誰かが腰かけていた。  黒のコウモリ傘を差したその人は、ベンチの前に足を投げ出し、じっと座ったまま動かない。  こんな雨の中で、なにをしているのだろうかと、訝しく思いながら目の前を通り過ぎる。 「宏武」  ベンチを通り過ぎた瞬間、懐かしい声がした。驚いてその声を振り返ると、傘に隠れていた顔がこちらを向いている。  触り心地のよさそうな柔らかな茶色の髪、精巧な人形のように整った美しい顔立ち。  爪の先まで磨かれたそれは、まるで芸術品のような麗しさだ。けれど彼が血の通った人間であることは、優しい茶水晶の瞳を見れば一目でわかる。  視線が合うと、彼はゆるりと口角を上げて笑みを浮かべた。それは忘れることのできない、愛おしい人の笑み。 「リュウ!」  振り向いてその姿を認めた途端に、自分は傘を投げ出し、その人に向かって腕を伸ばしていた。広い背中に抱きつくと、彼もまた両手で、自分の背を強く抱きしめ返してくれる。  雨に濡れるのも構わず、お互いをその腕に閉じこめた。  頬にすり寄ると、彼はずいぶんとひんやりとしている。どれほどの時間ここにいたのだろうか。 「宏武、風邪を引くよ」 「それはあんたのほうだ」  冷たい身体に熱を移すかのように、きつく抱きしめる。しかしザーザーと降りしきる雨の中では、二人の身体は少しずつ熱を奪われていく。  いつまでもこうして抱き合っていては、本当に風邪を引いてしまうかもしれない。  彼の冷たい頬を撫でて、そこに唇を押し当てた。
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