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かすり傷ではあったが生傷が痛々しく、少女は眉根を下げ少年を気遣う。
「大丈夫ですか?えと…」
「左次真でいい」
夕暮れの寂凰院こ濡れ縁で胡座をかく少年は、何か吹っ切れたかのように左次真と名乗った。
このお寺の見所である庭園を横目で眺め、しかし体はしっかり少女、牡丹へと向けられている。最初こそは探り合いを続けた二人であったが、ひと勝負したことで互いを認めてきたようだ。
サッパリと晴れ渡った青空はやがて朱色の光を浴びて見事なコントラストを彩り、深緑の木々たちは昼間とは打って変わって落ち着きを見せる。一日の終わりを告げるかのような感覚に見舞われるのは、何度も初夏を迎え、感じているからなのだろうか。
もともと静かな境内はこの時刻になるとより一層静まり返り、喧騒とは無縁の場所となる。まるで、この寺だけ世界から切り離されたかのようだ。
そんな面持ちを見せる寺にあやかしを連れた少女。異質な空間だ、と左次真はため息一つ付き、自分が普通の人間として生きていくことの困難さを改めて感じ取った。
改めて少女、牡丹を見つめる。彼女の瞳はまるで光が散りばめられた水面のように青く美しい。青い双眼を緩やかにつむり、鈴を転がしたような凛とした声を左次真に向けた。
「では私のことも牡丹とお呼びください、左次真」
屈託のない笑み、汚れを知らない喜びをあらわにされ、左次真の心臓はギュッと掴まれた。これ以上、真っ直ぐ向き合えば動揺していることがばれてしまう。察することを許さない左次真は無愛想にそっぽを向く。
「で?話は何だった?」
裾をおり直しその場に正座する牡丹は改まった面持ちでこう切り出した。
「密久箕祭はご存知ですか?」
「………」
左次真はそっぽを向いたまま黙った。いや、口を開くことができなかった。体が硬直し、瞬時にアクションがとれなかったのだ。変な間が空いてしまい、益々動くことが出来ない。するとその様に呆れた茶々丸は意図的に煽ることにした。
「急に黙りこくって、感じ悪い奴にゃ。にゃーにが好青年にゃ」
にゃーにゃー言われて更に馬鹿にされてる感が増したことで、固まっていた回答者は苛立ちを口にしながら牡丹の隣でくつろぐ化け猫を睨んだ。
「この猫はいちいち…」
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