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映像が網膜に飛び込んでくる。見開いた目は瞬きすら忘れている。あまりにも凄惨な光景だった。
彩は思わず身を竦めた。直撃するかと思ったからだ。ぴぴっと二滴、赤黒い飛沫が目の前の硝子に当たって弾けた。それが血だとすぐに気付いた。
異形の肉塊に見える。びくん、びくんと痙攣している様は、とても父親だと思いたくない。血を吐いている。吐血なんてものではない。まるで噴火。天井まで届きそうな程の血しぶきを撒き散らしながら、お父さんが首を左右に振り、暴れ狂い始めた。
血生臭い匂いが漂ってきそうだった。直後に吐き気が込み上げてくる。胃酸の饐えた匂い、尿の匂い、汗、唾液、それらの混じり合ったような蒸気が彩の鼻孔を衝いていた。
真後ろで叫んでいる声が響く。お母さんが狂ったように喚き散らしている。しかし彩は振り向かない。少しだけ後じさっていた。眼前でのたうちまわる、そのものから目を逸らせない。
耳鳴りがする。金属と金属を擦り合わせたような音が頭蓋の奥から響く。産毛が逆立つような気がした。体中が沸騰したように熱い。そう感じていた時だった。ぞわっ、と背筋に悪寒が走った。異常に汗が冷めたく感じた。以前に朝礼中に学校の校庭で倒れたことがある。あの時と同じ、貧血の症状。ああ、やばいと彩は思った。意識が体から分離して、飛び立ってしまうかのように遠退いていく。しかし次の瞬間には呼び戻されていた。片桐が両腕で彩の肩を揺さ振っていた。何かを話している。
「彩さんっ、大丈夫です! お父さんは、まだ大丈夫です!」
片桐は立ち上がる力もなくへたり込む彩を他の医師や看護婦とともに抱え上げ、引きずるように別室に連れて行く。
完全に真っ白となっていた。彩は薄れる意識の中、生気のない瞳を向けて室内を見渡している。虚無だった。室内は何も変わるところはない。ただ黙ってそれぞれの影を落とし、そのまま静地していた。人間だけが騒いでいる。全てが冷たくみえた。
その後も片桐は語りかけていた。しかし彩の耳には一つの言葉しか届いていない。まだ大丈夫の、まだ、の二文字だけが繰り返し頭の中に浮かび上がっていた。
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