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千鶴は売れない役者だった。
高校を卒業すると共に上京し、演劇好きの間ではそこそこ有名な劇団に入った。
芝居をすることが好きだったし、好きなことが出来る毎日は楽しかったが、当然それだけでは生活出来ない。
アルバイトをいくつもかけもちし、毎日忙しく過ごしていた。
そんな千鶴もいつの間にか27になった。役者として、劇団の舞台には何度か立っていたが、台詞の多い役が回ってくることは少なかった。
一緒に入団したメンバーも、1人、また1人と夢を諦め、就職をしたり地元に帰っていく。
それでも千鶴には、舞台に立ち続けたい理由があった。
まだ劇団に入ったばかりの頃。初めて舞台に立つこととなった千鶴は、初舞台を終えてもしばらく放心していた。
主人公の高校時代のクラスメイト、という、ワンシーンしか登場しない役だったが、一生懸命稽古をし、本番に臨んだ。
新人のため、出番が終わるとすぐに着替え、ロビーで客出しを手伝っていたのだが、そこに1人の男性が声をかけてきた。
「君、さっき舞台に出てた子だよね。君のお芝居は味があって良い。これからも頑張ってね」
千鶴は少しの間、自分に声がかけられたと思えず固まっていたが、慌ててありがとうございますと頭を下げた。
男性の方は、良く観に来る劇団の新人に声をかけたにすぎないのかもしれないが、たくさんの役者の中から自分を見つけてもらえたという喜びが、千鶴の心に強く焼き付いた。
そのときの喜びが、今も千鶴を突き動かしている。
今も、忘れない。
これからも役者をやめようかと、悩むこともあるだろう。
この度に千鶴は、この言葉を思い出す。
そして、また力強く舞台へと踏み出して行った。
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