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原稿
柴田氏は電動車椅子を操作して私の前を進み、居間を出て書斎に向かった。廊下の突き当たりの窓の光で、彼の後ろ姿が逆光になる。
「由紀子の物語は、もう、私が孤独な墓に入るというエピソードを残しているだけだと思っていた。君に付き合わせてしまって申し訳ない。」
「とんでもない。柴田さんが小説を書いてらっしゃったなんて、私の人生の物語も新たな展開を迎えそうです。」
「そうなってくれると有難いが。さてと。」
彼が車椅子に付いたリモコンを操作すると、書斎のドアが開く。そして絨毯の上を真っ直ぐ奥へと進めば、壁に掛けられた肖像画の下の、木製の棚の上に平たい宝石箱のような箱があった。彼はそれを膝の上に下ろしてこちらに向きを変えて言った。
「小説をこの箱に入れてから随分と時が経った。くれぐれもこの小説にのめり込まないようにして欲しい。」
そう言いながら柴田氏は箱のダイヤルを回して蓋を開け、中から、『小説に幸あれ』と題された白い原稿の冊子を取り出しページをめくる。
「ここが由紀子の倒れたページ、そして飲み屋の女の秀子のページは少し後にある。」
私は彼から原稿を受け取り、淡い口紅の跡を見て、彼女の死を現実のものとして受け止めた。
「それじゃあ、君はソファーに掛けるといい。私は横で見ていよう。」
早速私はソファーに腰掛け、まず、由紀子さんのページに目を向けた。柴田氏は心配そうに私の顔を覗いている。そして私は原稿を読んだ。
「音読します。……
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