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「葬儀屋」の場合
人の死で商売をしていくというのは何ともばつの悪い思いがするもので、死がなければ私の生活が成り立たない。それはある意味、死を望んでいるとも言えなくもない。しかし、死というのは当然誰にでも起こるもので、その点では空腹を満たす為の飲食店と変わらないと言えなくもない。とにかく複雑な仕事であると葬儀屋は日々実感していた。そんな悩みは数をこなせば慣れると入社当時に上司に言われたことを東家へ向かいながら思い出した。もうその言葉を聞いて十年経つが、未だにその気持ちは消化されぬまま腹の底にむあむあと残ったままであった。やはり飲食店とは違うのかもしれないな。東家は国道から一本脇へ入った昔ながらの狭い道を奥に入った場所で、注意しないと通り過ぎてしまう。葬儀道具を積んだワゴンは心なしか常に冷えているように思う。死は冷たい。もう冬の峠は過ぎたがそれでも厚手のダウンジャケットを羽織らないと寒く、葬儀屋は注意していた脇道を曲がり東家の前へ着いた。石垣と庭の奥に二階建ての建物があった。
家に上がり、挨拶を済ませ線香を上げた。鰹節のよい香りがした。一通り葬儀の段取りや準備について控えめに説明し、それから準備があるからと一度、車に戻った。これは葬儀屋が毎回やっていることだった。余りにスムーズに事を運ぶとそれは機械的な作業に見えてしまい、時に遺族を不快にさせてしまう場合がある。一度、席を外すことで遺族がそれについて咀嚼する時間を作ることが必要なのである。そして、それはまた葬儀屋自身の為でもあった。葬儀屋もその家族の空気を整理する必要があるのだ。穏やかな家族もいれば、憔悴しきった家族もある。祭壇や棺の位置について、やいや言い出す者が何処の家にもおり、一早くその人物を把握するのも重要なことである。とにかく葬儀屋は感情を出してもまた機械的であってもならない難しい職業なのだ。玄関を出て車に戻る途中、庭の脇にある小屋に茶色い髪を一つに結んだ女性に運ばれていく猫の姿が見えた。猫を飼っているのか。庭は丁寧に整備されているようだが、所々枝が伸び切っていた。小さな畑のような場所にはしなびれた植物とスコップがあった。きっと故人が家庭菜園でもやっていたのだろう。車に戻った葬儀屋の携帯に着信があった。寺の住職からだった。
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