■第一話 金魚倶楽部とカプチーノ

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 尋ねると、よく知った旅館の名前が出てきた。  黒江(くろえ)治親(はるちか)さんと()()さんご夫婦が営んでいる小さな旅館で、旅館の名前は娘の一花(いちか)さんと幸希(さき)さん姉妹の名前から一文字ずつ取っている。  二人とも家を出て都会で仕事をしているそうだ。ここにはあまり若い人の就職先がないのが実際のところなので、寂しいけど仕方ない、が治親さんの口癖だ。  渉も定期的に、コーヒー豆を卸したりコーヒーメーカーの掃除やメンテナンスに出向いている。今度伺うのは月末だ。  恋し浜珈琲店の定休日は日曜日のみだが、毎月、最終月曜日だけは日曜日から続けて連休にすることにしている。  治親さんのところへ御用聞きに伺ったり、新しいコーヒー豆を買いに行ったり、裏方の仕事に集中する日だ。 「そうなんですね。そこにもこの店のコーヒー豆を卸しているんですよ」 「え、そうなんですか。今朝もご飯のあとに飲んだんですけど、全然気づかなかった」  そう言って目を丸くする彼女に、渉はふふと笑って眼鏡の奥の目を細める。  昨日は初めて入った店だったこともあって緊張していたのだろうけれど、今日の彼女は表情がある。  失くしたと思っていた写真も見つかり、気が緩んでいるのかもしれない。
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