その手に残されたのは。

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「お前さあ、いつもこの時期になると吸い出すよな、それ」  人の入れかわりが激しい弊社に残った数少ない同期が、俺の口元にある電子タバコを指差す。  わざわざ屋上の喫煙スペースまでやってきて吸うモノでもないのだが、ニコチンゼロ、タールゼロ、いい香りのする水蒸気を楽しむタイプの周囲に無害なそれだとしても、体裁を気にする日本人らしいところだと自分でも強く思う。 「女性社員の香水が揃ってフローラルになるからな」 「なにそれ意味わかんねえ」 「嗅ぎたくないもの嗅ぎ続けなくちゃならない現実を、ふわっと一旦リセットするための魔法道具だよ。ハッカの匂いがするオジサンになって戻れば、しばらくは鼻も誤魔化せるしな」  そう、いつだって俺は誤魔化して生きてきた。あの選択もきっとひとつに絞ることから逃げるために誤魔化した結果だったのだろう。 「嫌いなのか、フローラル?」 「元カノの所為で花が嫌いになっただけ。香りの良し悪しの前に花という存在がダメなんだよ」 「詳しく聞かせろよ! そういうのお前の口から一度だって聞いたことなかったし」 「聞いたついでにその軽口で広めてくれよ。そろそろカートリッジ買うのも面倒だからさ」 「いいぜ。んで、どんな過去をお持ちなんですぅ?」  いつもの調子で問われ、俺はハッカの香りの強い息を吐く。 「高校時代に付き合ったやつと、ちょっとな――」
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