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男性はそう言うと、カメラを千波に返して家の中に消えた。
千波は、しまったと思った。名前を聞くのを忘れた。
この家があの人の家なら表札に名字が書かれていると思った千波は、目の前にある家の表札を探した。
そこには"矢野 岳羅"とフルネームで書いてあった。
フルネームで書いたのは、この島に矢野という家が何軒かあるからだろう。
「矢野…岳羅…」
千波はその名前を知っていた。
千波が写真に興味を持ったのは、9歳の時。祖母に写真展に連れていかれ、そこで見た写真に胸打たれたからだ。
その写真展の名前は"世界"。写真家は、矢野 岳羅。
千波は矢野の撮る写真が大好きで、祖母に頼んで矢野の写真集を買ってもらっていた。
その写真集は傍嶌に来るとき持ってきたから寮に帰ればある。
千波にとって矢野の写真集は宝物だった、祖母の形見としても…。
憧れの人がこんなにも近くにいたんだ。
千波は胸が高鳴るのを感じた。
恋とは違う胸の高鳴りに何という名前があるのかわからない。
そして千波はまたここに来ようと決意し、寮へと帰った。
「おかえり、今日はちょっと早かったね。」
「ただいま。」
千波は今日撮った写真をパソコンに移すこともせず、一目散に矢野の写真集を手に取った。
「千波、どうしたの?」
いつもと違う行動に茉莉は驚いた。
「私、この写真を撮った人に今日会ったんです。」
「確か矢野 岳羅さんだっけ?」
千波は前に矢野の撮る写真のことを茉莉に話したことがあった。
「はい…。」
茉莉は一心不乱に写真集を見ている千波を子供らしいと思った。
茉莉は一目見た時から千波が何か抱えていることに気づいていた。何を抱えているかはわからないが、16歳にしては大人すぎる千波を心配していたのだ。
でも今目の前で小さな子供が図鑑を見ているかのように写真集に釘付けになっている千波を見て、千波もまだ16歳の子供なんだと思った。
そして茉莉はそっと千波の傍を離れた。
その後千波はそっと写真集を閉じ、ブログに写真をアップしていないことに気づいて、パソコンを起ち上げた。
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