煙が目に染みる

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 薬箱というほど立派な存在ではなく、キャビネットの一番浅い段に、薬や絆創膏、それにおまけのフィギュアとかが放り込んである。普段の風邪はたいてい喉に来るので、常備薬にはラベルに大きく「喉の痛み」と書いてあるものを選んでいる。総合かぜ薬、というやつで、その下には小さな文字であらゆる風邪の症状が書き連ねてある。水道を捻り、水を出す。手を洗って、うがいを入念にしてから、瓶入りの白い錠剤を三錠、水道水で流し込んだ。  唇を手の甲で拭って、もう一度、その手を額に当てたのは単なる気休めだ。ジーンズの尻ポケットの中身が震え出したことで、右手はすぐにそこから移動しなければならなくなった。ポケットに押し込んだ携帯電話を取り出して、開く。 「もしもし」 『おはよ』 「あ、今日。夜勤明け、ですか?」  ヒーターのスイッチを押し、ベッドの上の読みかけのハードカバーを退かして、腰を下ろす。 『うんそう。もう帰ってる?』 「帰って来たとこ……」 『あそう、俺まだ車なんだけど』 「えっ、切ってください」  こうやって慧斗を動揺させておいて、 『平気、まだ動かしてない』  取り澄ました口調で乾は言うのだった。  言い返せない慧斗の沈黙を埋める行為のように、ふふふ、息遣いで耳をくすぐる。 『……ちょーさみいよ車ん中。そっち行っていい? 疲れてる?』  お互いの余暇が重なれば、一緒に過ごすのは自然なことだと思う。質問ではなく確認の意味合いが強い言葉に、けれど慧斗は曖昧に答えた。 「あー、疲れてはないけど……」 『うん?』 「風邪っぽい、かも」  こういう時、要領を得ないことを言うなと自分でも思う。そうかぁ、と相槌を打って、乾はごく軽い調子で訊いてきた。 『インフルエンザじゃない? だいじょぶそう?』 「うん……薬呑んだから」 『呑む前になんか食った?』 「や、特には」 『食欲ない?』 「あんまり……」 『そっか。あ、なんかさ、問診みたいだね』  電話の向こうの楽しんでいる気配に、はは、つられて笑ってしまう。
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