終わりの話

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終わりの話

 新宿のバスターミナルからの高速バスが、福山駅前に到着したのは、朝五時前のことだった。よく考えてみれば、新幹線だって間に合ったのにバスを選んだのは、金がなかった学生時代の名残だ。四年前から帰ってなかったし、頭が混乱してたのもある。それから、バスターミナルが近かったっていうのも、あるかも。四年ぶりの駅舎を見上げて考えたのは、間抜けだってことだ。  ロータリーのタクシー乗り場にタクシーが一台停まってたのは奇跡だった。 バスの乗客は大概、次の広島まで乗り過ごす。学生時代なら、梶が一緒なら駅前の二十四時間のマックで始発が走り出すまで、くだらない話で時間をつぶした。メニューは決まってエッグマックマフィンとコーヒー。腹は減ってたけど、朝飯を楽しんでる余裕なんてない。学生時代でもないし、梶もいない。代わりに財布には学生時代は持ってなかったクレジットカードが入ってた。  タクシーはコンビニの駐車場で降りた。途中、通ったトンネルの中で、窓ガラスに映った顔があんまりにも酷かったからだ。髪はぐちゃぐちゃで、一睡もできなかったから目の下は窪んでクマができてた。シャワーは無理でも、顔くらいは洗っておきたかった。  買ったばかりの歯ブラシで歯を磨いて顔を洗った。ぐちゃぐちゃの髪はもうどうしようもないから、水で濡らして手櫛で整えた。  バスで一睡もできなかったのは、誰かのいびきがうるさいからでも、シートが狭くて窮屈だったからでもない。梶に連絡がつかなかったからだ。あると思ってたLINEアカウントは消えてたし、電話は同じメッセージを繰り返した。 「お客様のおかけになったお電話番号は、現在使われておりません」  人生で初めてこのアナウンスが、こんなに悲しいんだってことを知った。唯一つながってるって思ってた番号が、もうつながってないってことは、世界から梶が消えたのと同じだった。だって、梶がこの世界にいる証拠は、もう自分の頭の中にしかない。  そうだ。  濡れたままの歯ブラシをバックパックに突っ込みながら、思い出した。箱のこと。梶が最後に残してった、箱の中身はまだ見てない。  箱の蓋を開けると、二つ指輪が入ってた。片方が俺の、もう片方が梶の。  小さい方を左手の薬指にはめてみた。第二関節の下で行き止まる。だったら小指にって思ったけど、今度は大きすぎる。    バカ。  指輪のサイズ確認しないで買うやつなんか、世界中に梶しかいない。  それでも指輪は外さない。  コンビニを出て、向かいの道路を東へ上る。朝焼けに潮の匂いがしてた。もう五月半ばだったけど、早朝の海辺はまだ肌寒い。しばらく歩くと左手に小さな山がある。山肌に沿うように沢山の家が建ってて、その間を一本、細くて急な長い階段があった。それを上っていくと青い屋根の二階建ての家がある。梶の実家だ。裏には大きくないミカン畑があって、冬になるとオレンジ色がきれいだった。  漁協のコンクリートの建屋が見えると、もうすぐそこだった。後は階段を上るだけ。 十年先の未来のことなんて、誰にも分らない。映画みたいに、ゾンビだらけの世界になるかもしれないし、めちゃくちゃ賢い猿が地球を乗っ取るかもしれない。どうなるかわからない十年後の未来の為に、今何をすべきがってことは昨日、誰かが見た夢の話をするよりずっと退屈だ。十年前、こうならないために何かすべきだったかって?してもしなくても、同じだった気がする。それに、何にも考えてなかった。今、その瞬間の一秒一秒が、すべてだったからだ。明日のことも、明後日のことも考える余裕なんかなかった。それが良かったのか、悪かったのかなんてことはわからない。でも、一個だけわかることがある。多分、ていうか、絶対後悔しない。宇宙のどっかで爆発した星のかけらが、小さくなりながら大気圏を突き抜けて、二十秒後に俺の頭をぶち抜いて死んだって、すごい津波が襲ってきて、三十分後に波にさらわれて溺れ死んだって、今ここにいることは後悔しない。  許してくれないかもしれないし、もう誰か相手がいるかもしれない。もしかしたら、本気でぶん殴られるかも。それでも横田じゃダメだ。  サイズもわかんないくせに指輪買っちゃう梶じゃなきゃ、男同士なのに本気で結婚しようって言うような、どうしようもなくてバカな梶じゃないとダメだ。  だから俺もバカでどうしようもない。  朝出て行った漁の船が荷下ろしを済ませて、市場では競りが始まってた。フォークリフトが市場の建屋の間を行き来する。その間を縫うように、赤いヘルメットの単車がこっちへ向かってゆっくり走ってくるのが見えた。手を挙げて誰かに挨拶すると、単車は加速する。  ジッパーの壊れたモスグリーンのコートが、マントみたいに潮風になびいた。 おわり。
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