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「お願い、そばにいて」 あの時、そう縋る彼女の肩に僕はそっと手を置いた。 「わかった。ただ、1日だけ待ってくれ。僕は現実の世界からずっと目を背けて生きてきた。君と共に生きる道を選ぶなら、現実から逃げるのではなく、自身の意志でこの世界を、君を、選びたい。」 彼女は戸惑いの色を浮かべながら尋ねた。 「本当に、いいの?私を選ぶということがどういうことか、貴方ならわかっているのでしょう?」 僕はゆっくりと頷いた。 「僕はただ、その手を温めてあげたかったんだ。」 僕が彼女の手をとると、熱を孕んだ雫がぽたぽたと降ってきた。 「…馬鹿な人。」 そう言う彼女は今まで見た誰よりも幸福そうな表情をしていた。 ****** 「おかえりなさい。」 いつものように沈んでいくと、その果てで彼女が待っていた。 「ただいま。」 「本当に、よかったの?」 躊躇いがちに問う彼女に、僕は頷いてみせた。 「後悔は微塵もしていないよ。むしろ君のおかげであの世界を愛することが出来たんだ。感謝しているくらいだよ。」 「でも…」 僕は彼女の手を引いて、あの紫陽花の園へ向かう。 「どこにいようが心は変わる。だけどそれ故に美しいんだよ。それを教えてくれたのは君だから、僕は君といることを選んだ。」 「だけど…」 僕は彼女の言葉を遮るように強くその身体を抱きしめた。 「ずっと言いたかったことがあるんだ。このまま、聞いてもらっても?」 腕の中で彼女が小さく頷く。 ずっとこのままでいられたらいいのに そう願ってしまうほど、彼女は温かかった。 「今まで一人にしてごめん。沢山傷つけてごめん。僕が背負うはずだったものを、君はたった一人で受け止めてくれていたんだね。」 この暗い世界でたった一人 過ごした時間はどれだけの痛みだったろう。 「ありがとう。僕はもう、大丈夫だよ。」 泣き腫らした顔で彼女が僕を見上げた。 戸惑いつつも、安心した表情だった。 「なんだ、やっぱり君は綺麗じゃないか。」 彼女が笑い、僕も笑った。 紫陽花の咲くこの場所で、僕達はふたり手を繋ぎ、優しい朝の訪れを待った。 それは来るかもしれないし、来ないかもしれない。まさに賭けではあった。 正直、僕にとってはどんな結末であっても大きな差異などなかった。 それくらいの心持ちで、ここに来たのだから。 「もう一人にはしないから、もしここを出ることが出来たら、そのときは僕が君を連れて行く。これからは、ずっと一緒だ。」 震える彼女の手を僕は強く握った。 遥か遠くでサイレンの音がした。
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