第1章

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スポーツ選手は、成績全てを文部労働省に管理されここでもまたポイント制、レベル分けによる月給制になり、高額な年俸を得る選手は国内では全く居なくなった。それに嫌気がさした野球選手やサッカー選手らは海外へ亡命してまで高額な年俸にこだわった。 学校での教材は、全てタブレットに収まりランドセルや鞄は特に必要なくなっていた。 紀一郎のカリスマ性は、日を追うごとに膨らんでいき、彼の掲げる思想や政策は世界各国からも大きな注目を集めて日本という国そのものが大きな産業を生み出しては世界に影響を与えるまでになってきていた。 数十年前まで繁殖し続けていたニートと呼ばれる「働かない大人」達は、紀一郎の政策や思想を快く思っていなかったが倫理的に労働を拒んで両親の脛をかじり続けているニートが犯罪者として収監される事に多くの働く日本国民は賛同した。 しかし、このニート達が後に紀一郎と対立して日本を大きく揺るがす戦争の様な事態に発展する事は、この時はまだ想像し得なかった。紀一郎は、ニートと呼ばれる連中の実力やポテンシャルを見くびっていた。 ニート達は、密かに紀一郎を殺害するテロ計画を構想し始める。袴田順一もその一人だった。順一は、収監されることを逃れるために日々やりたくもない仕事を淡々とこなしていた。測量会社のデータ入力の仕事だった。順一の査定のレベルは決して低くは無かった。ポイント制による毎月の給料も平均で五十万円を超えていて毎日の暮らしを立てていくには充分過ぎる収入だった。 順一と紀一郎は、小学生時代の同級生でまだマネー法を始めとする大々的な法改正が行われていなかった時にいろんな意味でのライバルであり親友でもあった。 学校一、二を争う学力のレベルを誇っていた二人は共に将来を嘱望されスポーツや美術などの実技科目は順一の方が紀一郎をはるかに上回る実力を持っていた。 学科だけに特化していた紀一郎に対し、全ての科目で優秀な成績を保っていた順一は小学校六年生の生徒会長選挙で紀一郎を圧倒的な大差で破り、生徒会長になる。 紀一郎が、生まれて初めて味わった最大の屈辱であった。その後、中学校へ進学した二人は、紀一郎の父親でもある綾辻源作が立ち上げた労民党が日本国の政権を握った事で大きな変化を見せ始める。
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