第1章

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綾辻源作は、労民党の党首で有りながらその姿を見た人間は皆無に等しかった。綾辻源作は紀一郎がインターネットやありとあらゆるメディアの力を利用して作り上げた架空の人間だった。紀一郎の父親である源作は、紀一郎が幼い頃に自殺していた。 源作は、派遣社員として働いていたが時代の波に飲み込まれるように失業を繰り返していた。ある日、紀一郎が学校から帰ると源作は生活苦を理由とした遺書を残して風呂場で手首を切って死んでいた。 それ以降、紀一郎は寝る間も惜しんで勉学に励むようになる。父の様な無様な生き方、死に方をしたくない、その為には一流の学校を出て、一流の企業に就職する事しかない。と言い聞かせながら。 順一は、紀一郎とは正反対の家庭環境で育っていた。 「子供は、遊びが仕事」をモットーに掲げていた袴田家の両親は、順一や妹の則子にも自由でなるべく束縛感のない幼少期を送らせていた。  労民党が事実上日本の政権を握ったのには、ニートと呼ばれる働かない大人が膨大な数に膨れ上がっていた背景が大きかった。多くの大人達は、その日本の現状に危機感を抱き、同時期にテロリストによる国会議事堂の爆破や、当時の総理大臣を始めとする政治家達が恐らく同一犯であろうテロリストに次々と殺されていた恐怖感を「労働こそが生きる証」とマニフェストを掲げて急激に支持率を上げていた労民党に全てを託そうとしたのかも知れない。  実際には、党首の綾辻源作は存在しない中、事実上政権を握ったのは当時まだ中学生の紀一郎だった。インターネットを最大限に駆使して紀一郎は多くの国民のカリスマに変貌していった。  順一は、学校に通う事が少なくなっていた。毎日繰り返される単純で代わり映えのしない学校生活は順一にとって退屈極まりなかった。両親も順一の意思を尊重して無理に学校に通わせるような事はしなかった。やがて、順一は仲が良かったはずの紀一郎との思考の食い違いを痛感して二人は、疎遠な関係となっていった。  順一と言う最大のライバルであり最大の厄介者が消えた紀一郎は、自分に勝る人間が一人も居なくなった優越感と日本国自体を支配できるかもしれない気分の高揚感で恍惚としていた。そして、中学を卒業した紀一郎は史上最年少で日本の総理大臣となる。日本という国が何かに彷徨って方向性の無いまま労民党から存在しない源作の後継者として紀一郎は、国政を握ることになった。  
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