第1章

9/11
前へ
/11ページ
次へ
日本社会全体が、たかが十九歳の綾辻紀一郎というカリスマ青年総理大臣によって弱肉強食的な社会へと変貌していった。学歴も性別も年齢も障がいの有無も関係なしに同じ土俵で戦えるシステムが日本人の気質を変えて何か異様な空気と今にもはちきれんばかりのエネルギーに支配されて日本という国がこれから何処へどう向かおうとしているのか?分かる人は、いなかっただろう。当の本人の紀一郎でさえも。 日本の景気は戦後最大と言ってもいいリズミカルなサイクルで上がっていき、小学生でも豪華なマイホームが建てられる時代になった。結婚は、十七歳から可能となったが大きく変わったのは夫婦別姓が義務付けられた事だった。基本的に、結婚しても女性は本来の氏名のまま結婚生活を送り、生まれてくる子供達の姓は男の子なら夫。女の子なら妻の姓を名乗るように法で定められた。 子供達は、選挙権が与えられる六歳までは普通に暮らし小学一年生つまり六歳から大人と同等の権利をほぼ得られるようになっていた。酒やタバコは、二十歳からと言う部分だけは変わらなかった。紀一郎は、様々な法律をより合理的に日本社会全体が好循環を続けるように緻密に計算しながら法改正を進めた。  収監されてしまったニート達にも刑務所内で出所後の生活が困らないようにメンタルトレーニングや認知行動療法を施し、モチベーションを高める訓練に余念がなかった。  元々、ニートの連中はPCスキルが高いので後はやる気をどれだけ引き出してやるかだけを考えてあげればよかった。基本的に文部労働省が定期的に監査に現れ、各ニート達のデータベースを完璧に管理していたので社会復帰へのモチベーションと他人とのコミュニケーション能力が人並みに上がったと判断されれば早い人間だと三カ月くらいで出所出来た。  紀一郎の政策の大きな根幹である生涯現役、働く事が生きている証。というマニフェストは多くのニート達にも浸透していった。元々能力が高い人間が多いニート達を放置して世に送り出さないで人生を終わらせてしまってはいけない。と謳った紀一郎の存在は、前政権まで全く改善の余地が無かった脱ニートという課題をあっけなくクリアしていた。  順一は、紀一郎の作った法律がそう遠くない未来には破滅すると確信していた。何もかもが若気の至りだろうが、政策或いは法律として稚拙過ぎると感じていたのだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加