12人が本棚に入れています
本棚に追加
「確かに私の中には、いままで転生してきた分の記憶があるし、それで培われてきた人格がある。不老のままこの年まで生きてきたとも言えるかもしれない。でも、たとえば『キミの目の前にいる私』は本当に不老不死と言えるのかな?」
「……どういうことですか?」
「そうだなぁ。たとえばキミが『一日後に死ぬ病気』を患ったとしよう。キミの余命は後一日だ。死にたくないよね?」
「そうですね」
この肯定は、実際に死にたい、死にたくないとは関係なしに、会話を潤滑に進めるための肯定だ。
「そこで、前もってクローン体を用意していたキミは転生することを決意した」
自分自身で人体実験が行われるのは嫌だが、前もって用意していて、一日後に死ぬなら決意するかもしれない。
「そしてクローンによる転生は無事成功、キミの命は次につなぐことが出来ました」
「なるほど、それでどうなるんですか?」
「キミは本当に延命できたのかな?」
「……はい?」
「記憶を写した後も『一日後に死ぬ病にかかったキミ』は存在して、間違いなく死んでいるよ。死ぬ時苦しい病気なら、間違いなく苦しんでいる。それでも、周りの人や転生後のキミから見たら、キミは延命に成功している。どっちが正しいんだろう?」
なるほど。確かに主観を『病にかかった僕』に置けば、死んでいると言えるかもしれない。
だが、『周り』や『転生後の僕』に主観を置けば、僕は延命している。
最初のコメントを投稿しよう!