第1章

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 小学生でも知っている。地元を流れるこの川が、日本でも五本の指に入るぐらい汚いということを。社会の授業で習うから。先生が「あの川は日本でも……」って結構自慢気に言うので、私は当時それが「人口が多い」だとか「GDPが高い」とかいうのと同じように、自慢に出来ることなのだと思い込んでいた。私の町の川は、お前のところのより汚い、と。  それほど、この川をせっせと汚しているのは、主に工場から流れてくる大量の廃水なのだけれど、その他に周辺の住民である私たちが、その川に何でも投げ込む習慣を持っているということも災いしている。花火の燃え滓、愛着のなくなった犬ころの死骸、古くなって修理も出来ない自転車、何でもよく投げ込む。もともと汚い川なのだから、自転車なんてうちの犬だったコロなんて、それよりはずっとずっと綺麗な物のはずだ。私たちの間で「埋めてくる」という言葉はしばしば、この川に捨てるということを指す。  だから、川底の方ではあの世に繋がっているかもしれない、と私は、幼いときから漠然と想像していた。みんな要らないと見なされたらそこへ行くのだ。あの世でなくてどこであろうか。この町の表面に生きることは即ち、私たちがあの世との境にしているこの川をただ汚していくことだった。十七年間ぼうっと、まるで抜け殻みたいに生きてきただけでも、ずいぶんと貢献したものだなと思う。そう思って煙草の火をつけようとしてつかなくてもがく。  私がこの川について持っていた習慣は、ただ要らなくなった物を捨てに来るということだけでなく、川べりで喫煙することと、学校の勉強を家で出来ないときにぶらぶらと来て、参考書を開いて地べたに座ること、それと友達が私をここで見つけるのを、待つでもなく待つということの三つだった。友達といっても、正確にいうとあきちゃん一人だった。小学校、中学校でも何となく私と遊んでくれる子はいたけれど、途中で私について何かを諦めて去ってしまったから、わざわざ私を見つけて声を上げてくれるような子は、彼女一人だった。
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