パーカー、スニーカー、カスタネット

1/2
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ

パーカー、スニーカー、カスタネット

かたん。封筒がポストの底を打つ音を確かめ、踵を返した。 母には頼めなかった。そんな選択肢は無かった。小説なんか書いてるとか恥ずかしくて知られたくなかっただけじゃない。この一歩は自分で踏み出さなければならなかった。これまでの、数年間の流れを変えるのは自分しかいない。 封筒は買って来てもらった。何に使うの、という問いには答えなかった。自分でやるべきことを母親に頼むのはこれで最後になるだろう。 切手は、部屋の引き出しを全てあさって出て来たものを全部貼った。年賀状のくじで当たった切手が十二支揃ってしまった。 スティックのりは相当古くなっていたが、まだ残っていた。不安になったからその上からやや黄ばんだテープも貼った。 いつものTシャツにパーカーを羽織った。 部屋のドアを開けて耳を澄まして、誰もいないことを確かめ、誰もいないと知りつつ足音を立てないように玄関まで歩いた。下駄箱を見ると、数年前と同じ場所に、同じスニーカーが入っていた。埃を払い、スニーカーの踵がつぶれていたのを伸ばして履いた。ドアを開けて射し込んできた日光に惹かれるように歩を進めた。封筒が、汗で湿って柔らかくなり皺を作っていた。 タイトルは「カスタネット」にした。ずっと決まらなくて、仕方ないから先に送る準備をしてしまおうと切手を探していた時に幼稚園時代のカスタネットが何故だか引き出しの奥から出てきて、これだ、と思ったのだ。 カスタネットの赤と青は、男子が青、女子が赤なんだそうだ。実を言うと女を主人公にしたのは、順調な人生を送る男について四千字くらい書いた後だった。対比であるとはいえ自分と比べてしまい惨めな気分になって来たから、その男の妻になるはずの女性をもう一人の主人公にした。 カスタネットという言葉は、カスタードとネットの合わさったものに感じられた。カタカナから思いついただけで英語などの裏付けは無いとはいえ、カスタードもネットも、甘すぎる自分、甘すぎる生活、インターネット、そういったものに捕らえられて抜け出せない自分自身を表すのにぴったりの言葉だった。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!