プロローグ

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「良郎・・・。」 入院中の病室で初めて俺をそう呼んだ時、ひいばあは間違いに気づき「ごめんね。」と詫びた。 その頃は確かに間違いと思えるくらいごくたまにだったが、だんだん頻度は増えていき、やがて“貴ちゃん”と呼ばれることはなくなった。 祖父から聞いたのだが、前にひいばあが言っていたらしい。 俺は良郎さんに似ていると。 ひいばあの家の仏間に飾られている遺影を見ても自分とどこが似ているのかわからなかったが、顔の造り以上に雰囲気や仕草に面影があるそうだ。 “良郎”と呼ばれる度に俺はとても複雑な心境になった。 病気だから仕方ないと思う反面、ひ孫の貴也と言う存在はひいばあの記憶からすっかり消えてしまったんだろうか?とか。 ひいばあが自分を可愛がってくれたのはどことなく亡き弟に似ていたから?とか。 ひいばあが自分にしてくれたことは良郎さんにしてやりたかったことなのかもとか。 俺のアイデンティティは激しく揺らぎ、ひいばあにとって自分は何だったのかと考えると妙に悲しくなった。 しかし。 病状が悪化し、表情や言葉を失っていくひいばあを見ているうちに、俺の気持ちは変わっていった。 人形のように動くことなく 1日の殆どを車椅子に座ったままぼんやりと過ごすようになったひいばあが時々、ほんの僅かな間だけ俺の好きだった柔和な笑顔を取り戻す瞬間があった。 俺を良郎さんと信じて声を掛ける時だ。 「良郎・・・あの桜は綺麗だったねぇ。」 「あなたが私と一緒じゃなきゃ食べないって強情を張るから少し貰ったけど、やっぱり食べてよかったわ。あれほどおいしいぼた餅は他になかったよ・・・。」 「あの桜をまた一緒に見たいねぇ・・・。」 「あの桜を見たいねぇ・・・。」 話の内容は決まってこんな感じで、俺にはチンプンカンプンだ。 でも、ひいばあらしい表情が見られるなら、呼ばれ方や意味不明な言動など、そんなことはどうでもよくなった。 それに、やっとわかったんだ。 ひいばあはこの病気になってようやく、ずっと胸に閉じ込めてきた良郎さんへの思いを口に出すことができるようになったんだと。 それならひいばあにとって自分が誰でも構わない。 悲しみを忘れて少しでも笑うことができるなら、いくらでも、何度でも話を聞いてやる。 それが俺にできるせめてもの恩返しだから。
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