第三話 さんさん雨降り、娘はどこへ行った?(1)

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第三話 さんさん雨降り、娘はどこへ行った?(1)

 詩乃は長兵衛長屋に来ていた。月に一度ほどこの長屋にやってくる。最初はこの長屋の大家の長兵衛の妻が胃の痛みを往来で訴えたところに居合わせたのが縁だった。長屋まで送り、薬を与えた。  長屋の中で咳をしている男に出会い、家の中のカビのせいで気管支炎になっていたので、掃除をし、カビを取り除き、長屋中の掃除の仕方講習までやったおかげで、冬には恒例で誰かが死んでいた長屋だったが、誰も風邪すら引かずだったのを機に、月一の往診を頼まれたのだ。  料金は、それぞれが微々たるものをためて病人が出た時の薬代として当てている。町内会費のようなものだ。薬がいらないときには往診代はそれぞれの能力で謝礼を用意していた。  例えば、気管支炎だった男は、腕のいい欄間師だったので、店の欄間を作ってもらった。 「いやぁ、お詩乃さんが来てくれるおかげでうちの長屋は清潔元気で」  大家が笑顔はちきれんばかりに言う。 「そりゃ何より」  一通りの心音、脈など図り、年寄りの腰の痛みに、油紙で作ったシップなどを渡したり、子供の擦り傷やらに軟膏を与えた。  帰ろうとしたころ、粋な縞の着物を着た女が帰ってきた。 「小菊姐さん、」 「お詩乃さん、今お帰りで?」 「えぇ。姐さんはどちらへ?」  小菊はもともとは遊女だった。年季明けこの長屋で文字や計算の手習いなどを教えている。最初はみな迷惑そうだったが、詩乃が声をかけたので何となくだが、ご近所付き合いをしている。 「長崎屋さんへ三味線のお稽古へ」 「長崎屋? 三味線の稽古?」 「えぇ、大通りにできたでしょ? ご存じない? 南蛮渡来の品を扱うお店ですよ。そこの奥様に三味線を教えているんですよ」 「あら、いい仕事口を見つけたねぇ。小菊姐さんの三味線は絶品だもの、さぞかし腕が上がるでしょうね」 「それがちっとも。あの奥様、やる気などないんですよ。多分……、旦那さんが無理やり習わせようとしているようですわね」 「下手なんだね?」 「まったく上達しないんですよ。それよりも、南蛮のお菓子を食べてばかりで、代わりにあなたが弾いて、稽古している風にしておくれですって、」 「でも、それで給金もらえるならいいじゃないの」 「そうね。ありがたいわ」  小菊はふわっとした笑みを浮かべた。詩乃が小菊と知り合った時と変わらぬ笑顔の仕方だ。この人は相手を柔らかくする笑顔をする人だ。詩乃はこの笑顔が好きだった。  詩乃の長屋訪問は、この長屋だけではない。長兵衛が近所に言いふらしたおかげで、あちこちに出向いている。だから、月に一度しか来れなくなったのだ。  そもそも、詩乃は外を出歩くのが好きなほうではないので、ひどく憂鬱で仕方がないのだが、番頭の、 「わたくしたちのお給金分は、詩乃さん、働いてきてくださいよ」  と睨むので、しぶしぶ出かけるのだ。 「雨だ。今日は止め」 「詩乃さん」  番頭が呆れたように言う。とはいえ、梅雨時期で雨は仕方ない。一月は仕事をしないつもりかと思うが、一度しないと決めるとどうやってもやらないので、あきらめるしかない。(全くこの人には困ったものだ)と思いながら、番頭は雨を恨めしく見る。  梅雨の合間の晴れが三日続き、さらさらと降っていた雨が大粒になり、湿気を含んできたころ、 「夏が来るのか」  詩乃が嫌そうに言いながら首筋をなでた。 「そうですね、むせますね」 「やだなぁ。夏」 「冬もでしょうよ」 「あぁ、冬も嫌いだ」 「好きな時なんてないでしょ、詩乃さんには、」 「ないなぁ。あぁ。やだやだ」  詩乃がキセルにたばこを詰めようとしたところに、小菊が走りこんできた。傘を畳み、戸口に立てかける。 「あら、珍しい」 「こんにちは。どうも、番頭さん」 「いらっしゃいませ」 「ひどい降りだわ」  そう言いながら、番頭に小さな包み、詩乃には少し大きな包みを持っていき、小上がりに腰かける。番頭がその包みの中身を団子だと察し、お茶を入れに行く。 「団子屋も商売あがったりだね」 「だから、買ってあげたの」 「気前がいいね」 「いやなお金はすぐに使わないとね」 「いやなお金?」 「そうよ」  小菊は鼻息荒く団子を一口頬張った。 「長崎屋の奥様に三味線教えてるって話したでしょ?」 「あぁ、誰かに教えてるって言ってたね」 「もう、堪忍袋の緒が切れて、習う気ないなら、もったいなくはないですか? って、だって、結構お金もらっていたから」 「良心的な指摘」 「そしたら、奥様が、だったらこれでもう終わり。って、お金を投げてよこしたのよ」 「まぁ」  番頭の相槌に詩乃が片眉を上げる。 「どこかね、呆けた方だと思ったけれど、浮世離れしているというか。それで、一応、長崎屋さんに、こうなりましたって言ったら、妻のことは仕方がない。ところで、実は、以前から愛人にならないかと思っていたんだが、どうだろうって」 「言われたの?」 「はっきり、きっぱりお断りして帰ってきたの。あの人たち、独り身の女を馬鹿にしすぎだわ」  多分、それ以外にも嫌な目にあったのだろうが、とうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。愚痴を言いたくても、知り合いも友達もいない小菊だから、この店にやってきたのだろう。  小菊の愚痴はしばらく続き、番頭が丁寧に相手をしていた。 ―あいつの才能は、人のくだらない話を延々聞いていても平気だってことだな―まぁ、だから、番頭に雇ったんだけど。  詩乃は、番頭と知り合った日のことを思い出していた。―あの時のあいつの目はとても気分の悪い眼をしていたな― 「それでね、詩乃さん」  小菊に不意に膝を叩かれ現実に戻る。一気に過去の思い出を忘れるほどだった。 「何?」 「もう、聞いてなかったの? だから、あの長崎屋さんの香がひどいのよ」  そう言って袖をつまんで詩乃のほうに腕を上げた。詩乃がその袖に顔を近づける。  なんだか、甘いような不快な臭さもある。詩乃が顔をしかめ、 「この香は稽古中ずっと焚かれているの?」 「いいえ、今まで一度も。今日はあたしにお金を投げてすぐ奥様がつけて、もう、臭くて臭くて、飛び出てきたから」 「奥様の様子は、解る?」  詩乃の神妙な問いに小菊は不安そうな顔を見せる。 「……何かいけないもの?」 「いや、だって、これだけ臭いのに、お香って、」  詩乃はそう言って鼻をつまんでみせる。 「あぁ、そういうこと? 別に、上機嫌に笑って、すぐに静かになったから、これといって何もないと思うけど、」  詩乃は少し微笑み、「こんな匂いが好きって人もいるからね。あたしもあまり好きじゃないから。小菊姐さんも、もう、関わらないほうがいいよ。匂いが合わないのは、相性としては合わないものだから」 「そう?」 「そうよ、好きでもない男のにおいを我慢するのって、」  詩乃がそこまで言って黙る。小菊はやんわりと微笑み、 「そうね、まぁ、あたしももう行く気はないし。でも、話してすっきりしたわ」  と笑った。  元女郎に、好きでもない男に抱かれ続ける苦痛を解くのは、釈迦に説法だ。だが、匂いが合わない人と同じ場所に居られない。という説明には納得したようだ。  小菊が帰った後、番頭が湯呑を片付ける。 「あの匂い、奇妙でしたね、あんな香があるなんて知りませんでしたよ」 「普通の香じゃないと思うね」  詩乃は鼻の奥のほうに残っている香を思い出し、顔をゆがめた。 「普通の香じゃないんですか? じゃぁ、いったい?」 「さぁね、どっかで嗅いだことがあるような、無いような、まだ鼻の奥に残ってて、今はとても気持ち悪いよ」  番頭が水を持ってきてくれて、匂いすらも消し去るようにして飲み干した。  梅雨の雨がもう十日も続いて降っている。じめじめどころか、あちこちがカビてきそうだと、番頭が入念に掃除に精を出す。それを横目に詩乃はキセルを燻らせる。  店の前を蓑を付けた岡 征十郎が横切った。 「あれ、岡 征十郎だ」  詩乃の声に、戸口に近かった番頭が外を見る。 「おや? お役人方が集まって……、あの方角は、材木問屋の辺りですね」 「そんなに大勢がいるのかい?」 「ええ、ひぃ、ふぅ、みぃと、そうですね、六人、」 「岡 征十郎の班すべてかい?」 「そうですねぇ」 「様子、見てきてよ」  番頭が顔をしかめたが、番頭もどちらかと言えば野次馬根性がひどいので、「仕方ありませんねぇ。詩乃さんが言うからですからね」と言いながら出かけて行った。  半時もしないうちに番頭が帰ってきた。難しい顔というか、腑に落ちない顔をしていた。 「なんて顔だい?」  店には客は居なくて、詩乃は高く煙をくゆらせていた。 「あ、あぁ」 「何があった?」 「土左衛門です」 「誰の?」 「……それなんですがね、お上、というか、岡様達に十手持ちが報告していたところによると、出身は下総で長崎屋に奉公に来ていた娘で、って言うそうです。店の金をくすめようとしたので、下総までの旅費を渡してクビにしたというんですよ。この雨で、丸太橋(材木問屋が並ぶ地帯と、家具問屋との間に掛かる太鼓橋)から足を滑らせたのだろうと。あそこは欄干がありませんからね」 「そこまでわかっていて、なんて顔だい?」 「小菊さんに会ったんですよ。三味線の糸張りを頼んでいた帰りだとかで」 「小菊姐さんに?」 「えぇ。そしたら、小菊さんがあれは長崎屋の奥方だって、三味線を教えていた、やる気のないあの人だっていうんですよ」 「奉公娘だと証言したのは?」 「長崎屋の店主と番頭です」 「小菊姐さんが嘘を言って得することなんかないよね」 「そうですね」 「もし、奥方だとして、奉公娘と偽ったほうがいい理由があるかい?」 「わかりません」 「その土左衛門、変なところなかったかい?」 「さぁ。そうそう土左衛門なんか見たことありませんからね。気になりますか?」 「変な食い違いだろ? 奥方と奉公娘って」 「そうですね」 「とはいえ、あたしらがどうこう出来るわけなどないけどね」 「そうですね」  二人が同時に外を見た。先ほどまで激しく降っていた雨が少し強さを弱めていた。雲の切れ間から見える空が随分と青くなってきていた。  梅雨の雨に雷が混じり始めた。そろそろ梅雨が明けるようだ。  蒸し蒸しすると詩乃はその朝から機嫌が悪かった。 「あ―暑い」  それしか朝から言わない詩乃を横目に番頭は運び屋が持ってきた新しい薬を棚に並べていた。 「ごめんください」  声がしたので番頭が腰を伸ばす。詩乃も入り口を見る。  米屋の娘がお伴に一人娘を連れて入ってきた。 「この前はありがとうございました。それから、うそを言ってすみませんでした」  米屋の娘の代わりぶりに詩乃が眉を上げる。ふてぶてしく言ってはいるが、それは一応の反抗心で、本心から反省しているのだろう。 「構やしないよ。ところで、あの変な奴はどこで買ったんだい?」 「あれは、」  米屋の娘は口をつぐんだ。 「お嬢様、」 「わかってる。……あれは、長崎屋さんの近くの小路でもらったの」  詩乃と番頭が眉を顰める。 「最初はすごく効いたのよ。でも、これを試してよかったらお買い求めくださいっていうやつで、最初はシジミほどの貝の上に乗ってるくらいしかなかったのよ。だけど、すっかり赤みが引いたから、翌日行ったら、続けたほうがいいと言われて、あれを、」 「両日とも、その、長崎屋さんの近くの小路で物売りしてたんだね?」 「違うわ。あたしがすごく気にして歩いていたら、長崎屋さんが、おでき、あばた、皮膚の悩みにお困りの方―。って言ってたの。それを遠巻きで見ていたら、何か皮膚に問題でもおありですかい? って、女の人が声をかけてきて、鼻の頭のあれが気になるって言ったら、長崎屋さんはそのまま買うと高いけれど、あたしが口添えしてあげるって、裏道に連れていかれて、そこに、長崎屋さんに薬を卸しているって商人がいて、長崎屋さんに卸しているんだからって、安心して、それで、」 「いくらだった?」 「え? えっと、……300文」  詩乃は呆れながらため息をついた。  300文と言えば、蕎麦一杯28文であるから、結構良い値の代物である。それをこんな小娘が出すのだから、「いやな世の中だねぇ」と詩乃が言いたくなる気もよくわかる。しかも、それが身銭ではなく親の金と来ていることに詩乃はますます嫌な顔をする。 「でも、でも、でも、そのおかげで、このと、一緒に出掛けることにしたのだし、」  側使いの娘はおみつと呼ばれて頭を下げた。  米屋の娘と同じ年のころだろうけど、透き通るほど肌の白い、使用人にしては身ぎれいな印象を受けるのは、この娘が日ごろからそれを気にしているからだろう。所作一つ一つもさもなく、大変気を付けていることがうかがえた。 「これ素敵ね、きれいだわ」 「たか子様、また無駄使いしますと、」 「わかってるわよ。買わないわよ。ただきれいって言ってるだけ、ほんと、おみつは面白くないんだから」  米屋の娘はたか子というらしい。頬を膨らませてみるが、その隣で、申し訳ありません。と項垂れたおみつの方がよほどお嬢様に見えた。 「あぁ、このおみつはね、もともと武士の娘だったのよ、」  たか子の話によれば、父親が早くに亡くなり落ちぶれたのだという。見栄えがいいので使用人として雇ったのだといった。 「見栄えがいいって、」  たか子とおみつが帰った後で番頭が苦々しげに言った。 「まぁ、世間知らずのバカ娘なら口走りそうな言葉じゃないか。だけど、あのおみつは使用人となっても凛としていて、すぐにでも嫁の貰い手が現れるだろうよ。まぁそれを、あのバカ娘と親が邪魔しそうだけどね」  詩乃が高く煙を燻らせた。  噂というのはあっという間で、詩乃が予言してから三日と経たずにおみつになかなかの大店の跡取りからの求婚の話しがあったという。詩乃の言うとおり、娘と両親が娘可愛さに妨害しようとしたが、おみつが平に断ったそうだ。 「自分は武家の娘だった落ちぶれたもの。自分のようなものが嫁げばお家のためになりませぬ」  凛とした姿勢に名残惜しそうだったが、確かに、落ちぶれた娘というのは、大店ならなおさら気にするようで、話は流れたと、風に流れてきた。 「いやな話ですね」 「そうかい? お前にだって好機ができたんだよ?」 「はい?」  キセルを燻らせながら詩乃がにやにやと番頭を見る。 「お前がさぁ、おみつを嫁にもらうことだってできるって話」  番頭がぱっと顔を赤らめたが、すぐにさめざめとした顔を見せ、 「勝機のない話でからかうのやめてくださいな」  詩乃がけたけたと笑う。  番頭は女の扱いはうまいと思う。ただし、客ならば。こと色恋相手の女となるとまるでカタツムリ。殻に閉じこもったように口をつぐんで身動き取れなくなる。 「いえいえ、お客様のように肌が白く、きめ細かい方ならば、このおしろいのほうがお似合いですよ」  客相手ならば、あれほど饒舌に話せるのに、不思議でしようがない。 「こんにちは」  そう言って入ってきた男は、箱を背負った男だった。 「おや? 珍しいやつが来たね」  男は手ぬぐいで首筋の汗をぬぐいながら詩乃の側に行き箱を下ろしながら、 「用があるもので、今日は私が持ってきたんですよ」  そう言って箱を開ける。上蓋を取り、手前を観音開きにすると、何段かの引き出しになっている。それをすべて取り出し、一枚を詩乃の前に置くとあとは近づいてきた番頭に手渡す。 「これは便秘薬の補充分。あと、暑気予防の飴です」 「随分と作りましたね、」 「今年は暑くなりそうですからね。それでと、」  男は詩乃のほうに向きなおし、説明をしようと箱を持ち上げて、詩乃と顔を合わせて、首を傾げた、 「な、何でしょう?」 「いやぁ、薬屋、あんた、そんな顔だったっけ?」  番頭が眉を潜ませる。薬屋は頭を掻く、 「いやぁ、このところ眠れぬ日が続きまして、寝不足で」 「お盛んだねぇ」  詩乃のイヤミに薬屋は手を大きく降って、 「違いますよ、暑くなると虫のように湧いてくる連中のことですよ」  薬屋を寝不足にさせているのは、若い連中のことで、夏になると浮かれて出てきて夜な夜な遊びまわり、大声で闊歩する連中のことで、薬屋の居る庵のある辺りは竹林で人気が居ないので、男女の密会にはよく使われる。そのせいで眠れないのだという。 「大変だねぇ」 「もう、本当に勘弁してほしいですよ」 「そしたら、坊主に頼めばいい、いいころ合いに念仏でも唱えたら、人もはけるだろうよ」 「はははは、それは良い。そうします」  薬屋はそう言って、新薬の説明を始めた。  薬屋の素性は番頭ですら知らない。いつからか薬屋としていて、竹林の奥にある庵に引っ込んでひたすら新薬の発明をしている。そしてできたころに運び屋と呼んでいる足の短いがに股の男が取りに行き、この六薬堂に持ってくることになっている。薬屋が自ら運んでくるのはずいぶんと珍しいことなのだ。  説明も終え、引き出しを箱に戻しながら、薬屋がぼそっと言いだした。 「そういえば……、よからぬ薬が蔓延しかけているようですね」 「よからぬ薬、ですか?」  番頭が聞き返す。客がいなくなり、薬屋と詩乃にお茶を運んできたのだ。 「ええ。あぁ、ありがとうございます。随分と怪しげなものですよ」 「と言いますと?」 「すっかりおかしくなる薬。のようですね」 「アヘン。のようなものですか?」  番頭の言葉に薬屋は少し考え、 「聞いた限りでは、確かに似ていると思いますね。すっかり興奮してしまって手が付けられなくなったかと思うと、幻影、幻聴を見聞きして暴れるとか、連中の中にもいましてね、ちょいとてこずって」  薬屋が首の後ろを掻く。その時、右の手首に真新しい切り傷が見えた。 「それですか?」  番頭の言葉に両腕をめくれば、痣やら切り傷がついていた。 「まぁ、手加減を知らぬのでね。とりあえず竹に括り付け一晩冷ましてから帰したのですが、それが十日前で。若い娘までいましてね。もう、なんとも言えない状況でしたよ」 「……その娘って、どんなんだったか、覚えてる?」 「詩乃さん、お知り合いでも?」  番頭と薬屋が同時に首を傾ける。 「いや、何となく、そうじゃないといいなぁと思って、で、どうなんだい? 覚えてるかい?」 「娘さんは良い着物を着てましたよ。とてもね、大きな(たな)の娘という感じでしたね。……そう、ちょうちょの着物を着てましてね、随分としゃれたものだとね、」 「ちょうちょ? 黄色い着物?」  番頭が急いて言う。薬屋は圧倒されながら頷くと、番頭が詩乃のほうを見る。 「小菊さんがおかしいと言っていた土左衛門の娘、あれも黄色の蝶の着物を着てました」  詩乃がため息をつく。 「となると、ますます、あの匂いが何だったか思い出さなきゃいけないねぇ」 「嗅いだんですか?」 「いや、小菊姐さんの着物にしみていてね、……薬屋ぁ、あんたもあれを嗅いだんだろ? 残り香でも、なんだか解らないかい?」 「それが、……私にはさっぱりで、甘ったるいような異臭というか、独特で」 「そう、それ……なんだっけか……でも、あれだねぇ。もし、小菊姐さんが間違えていなきゃ、その土左衛門、長崎屋の奥方か、使用人の娘か、その娘は死ぬ少し前に薬屋の竹林に居たってことだよね? 面倒だなぁ」  詩乃がそういうと、番頭も薬屋も顔をしかめて腕組みをした。 「しょうがない、裏技を使うよ。……薬、ご苦労さん」  詩乃がそういうと、薬屋は会釈をして箱を背負って出て行った。  
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