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プロローグ
「暑い……もう、嫌だ……ひたすら暑い」
夏の暑さをまだこれでもかと言うほど孕んでいるこの季節が大っ嫌いだ。いや……正確には、春の終わりから夏、そして秋に入って少しぐらいの季節が大嫌いだ。
行儀とか品性とかそういうものを全部無視してワイシャツのボタンを二つほど開けると、往来の真ん中でバサバサと扇ぎ風を取り入れた。
しかし、取り込む風は生ぬるく、湿っぽさを含んでいて不快指数が一気に増した。
何故私はこんな暑い中歩かされなければいけないのだろうと思いを巡らす。
――そうだ、私は友人に会いに来た。この時間しか出歩かない友人に。
溜め息混じりに空を一度仰ぎ見ると、紺色の布の上にオレンジジュースをぶちまけたような中を、スイスイと泳ぐように鳥たちが巣に帰っていくのが見えた。
昔から変わらない夕方になるチャイムの音に合わせて、歌詞を口ずさむと一気に妙な切なさが込み上げる。
「夕方のチャイムが鳴ったら帰って来なさいよ」
学校から帰ってきて遊びに行く私に必ず母が言っていた言葉。
普段なにも言わない母がそう言うのだから、家に帰らないといけない。でも何故だっただろうか。理由を聞いた時、母は昔おかしなことを言っていたような気がした。
「チャイムが鳴ると――……なのよ。だから、わたし達は家にいないといけないの」
確かに母は夕方のチャイムが鳴った以降は、なにがあっても外には出なかった。買い忘れた食材があっても、回覧板を届けに行くのも、夕方のチャイム以降は絶対に……だ。
私もそれに従っていたし、部活もやっていなかったこともあり、私も高校二年生まではちゃんと家に帰っていた。
でも、母が亡くなってからはその約束はなくなった。
父も好きにしたらいいと言ってくれたし、止める母もいないし、いつしかそのことさえ忘れていた。
何故、今そのことを思いだしたんだろう。
きっと、住宅街から漂ってくる夕ご飯の匂いとか、ぽつぽつ付きはじめた電気の光に家族の懐かしさを思い出したからかもしれない。
しかし夜に差し掛かっても暑いのは参ってしまう。ぼんやりと歩いていると、首筋にヒヤリと冷たいものが触れた。
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