プロローグ

3/3
前へ
/5ページ
次へ
 柳とはいつからの付き合いだっただろうか。柳に手を引かれるまま、急勾配の坂を登りながら私はふと思った。確か数年前?いや、去年のような気もするし、もっともっと昔の気もする。 「柳さー、私たちっていつ出会ったんだっけ?」 「どうだったかな。夏の夜ってことは覚えているわよ。私ほら、夏しかここにいないじゃない?」  そうだ、柳は昼間は外に出ない。しかも夏のはじまりから終わりまでこの街の坂の上に住んでいて、秋がはじまると本宅に戻ると言っていた。避暑地でもないこの街に別宅を構えるなんて、柳の家はどこか不思議だ。 「坂の上で落とした林檎を、坂の下のイチコが拾ってくれた。あの時のイチコの顔と台詞……ふふ、私あれは忘れないなぁー」 「その話はやめてよ……」 「ふふ、〈善悪を知る果実を落として私がそれを拾った、貴女は私の善を知ることが出来たと思いませんか?お嬢さん〉だったわよね」 「やめて……やめてください柳さん」 「あれにはびっくりして言葉失っちゃったわよ」 「……仕方ないでしょ。私はあの時酒にも……いや、自分にも酔ってたし、ちょうどその時旧約聖書の勉強してたし……それから……柳が――」 「私がなに?」 「夕陽を背にして白いワンピースをはためかせていた柳が綺麗だったから格好付けたんだよ!」  柳は立ち止まり振り返ると、大きな目を細めて微笑んだ。 「それは初耳。でも結局口説いたのは私なのよね。あまりにもイチコが奥手だから」 「奥手で悪かったね」  柳の長い睫毛が影を落とすのを見るのが私は好きだ。だから、いつも目を開けたままキスをする。何度キスをしても、柳の唇は体温を感じさせないほど冷たかった。この唇に熱を持たせることが出来るのだろうか、と考えると私の熱を持っていた頬はより一層熱くなった。 「……キスも、私が目を瞑ってからしかしてくれない」 「柳が物欲しそうな顔をして強請るからね」  柳はうっすらと目を開くと、私を見て小さく笑った。柳が笑うとあぁ、私はこの人が好きだ、と自覚する。大嫌いな夏と夜だけの私の最愛の友人であり、愛おしい恋人……
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加