理を余す哥

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風が吹くと木々が不気味に揺れて、月の明かりがまばらになってきらめく。 「私ね。死ぬの。きっと」 「そうか」 リゼンは黙って女の隣に座った。 「そばにいてやる」 女の鼻をすする音がした。 すぐに女の涙交じりの鼻歌が聞こえてきた。その歌はリゼンの知る歌であった。心がどくりと波打って、心臓から涙が溢れてきそうであった。 この歌......。 カヨリ......哥余理。 そのとき、社の陰から猿のような体の野良が一匹、猫のような足取りでやってきてリゼンと目があった。目は黒の一色であるが赤子のような顔をしていて、リゼンを見ると小さな歯を見せて笑った。 リゼンが刀を抜いて立ち上がるより早く野良はリゼンに飛び乗った。破れかけの柄元が手を滑って、刀が土に転がる。 野良はリゼンの顔面を人間のような手で掴むとグイッと持ち上げる。リゼンの首が体重を受けてぎしぎしと鳴った。 リゼンは宙に浮いたまましばらく悶えていたが、やがて力を失くしてだらりと腕を垂らしてしまった。 笠が頭を離れて地面に転がった。 女が目を伏せた。 野良が目を細めて笑みを浮かべ、顎をぱっくりと大きな口を開ける。 月が雲に隠れて暗くなる。 だがその時、垂れていたはずのリゼンの腕が野良の獣の腕を掴んだ。リゼンの指が食い込み、筋肉がみしみしと音を立てて、野良が赤子のような悲鳴を上げる。 リゼンの着物の背側が破れ、真黒な鴉の羽根がぞわりと伸びていく。 女は息を飲んだ。 そのうち野良はリゼンの顔面から手を離し、リゼンは地面に落ちた。そして息を飲む間もなく、刀を指で拾い上げ、咄嗟に野良の首元を貫いた。少しの静寂があって、野良の呼吸が漏れる。 リゼンは両腕で柄元を推して、野良の首に剣を推しこみ、息の根を断った。 野良の身体がぐったりと倒れる。リゼンはその死骸から這い出てきた。鴉の羽根は背中に戻って消えてしまった。 彼は首の骨まで貫いた刀を野良から引き抜き、血を拭って鞘に納め、ちらりと女を見た。 哥余理だ。 そう思うと涙が溢れそうになった。 記憶がゆるりとやって来る。 俺に気付いてないな。 リゼンは夜空を見上げた。 哥余理と離れて途方も無い数の野良を殺してしまったなぁと思った。 俺がいない方が幸せか。 リゼンはそう思って、歩き出そうと背中を向けた。その途端、不意に寂しくなって苦しくなって視界が水蒸気のように熱い涙で曇った。
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